小規模集団での多様性の必要性

「みんなの意見」は案外正しい ジェームズ・スロウィッキー著(角川書店)から

 考えられる限り多様な選択肢を思いつくだけでは不充分で、どの選択肢がよくて、どれが悪いのか、集団として判断できなければ意味はない。その判断を下すときに集団が多様であることに何らかの意味があるのだろうか。最終決定に影響を及ぼすのだろうか。
 多様性は二つの側面で影響を及ぼす。多様であることで新たな視点が加わり、集団の意志決定が持つネガティブな側面をなくしたり、弱めたりできる。
 多様性の奨励は、大きな集団よりも小さな集団やメンバーが限定されているかっちりとした組織体にとってより大きな意味を持つ。その理由はきわめて単純だ。たいていの市場は規模が大きく、資金さえあれば誰でも参入できる。ということは、すでに一定の多様性が保証されているのと同じである。
 会社などの組織の場合、それとは対照的に認知的多様性を積極的に奨励しなければならない。特に組織が小規模であればあるほど、特定の偏向を持った少数の人物が不当な影響力を行使して、集団の意志決定を簡単に歪められるので、多様性を大事にしなけらばならないのだ。

 この部分は全くその通りだと思う。多様性があるということは、一方で意識的にある方向へ集団を持っていこうとする人もいるということになる。そして、そういう人は、人の話を良く聞いて、意見をまとめようとする人と、一方的にある方向に持っていこうとする人に分かれる。前者は集団にとって正しい方向に導いてくれる可能性を持っているが、後者は往々にして間違った方向に集団を持って行ってしまう可能性がある。

 集団のレベルで考えれば、知性だけでは不充分だ。問題を多角的に検証する視点の多様性が得られないからである。知性というのは、スキルが入った道具箱のようなものだと考えると、「ベスト」と考えられるスキルはそれほど多くなく、したがって優秀な人ほど似通ってしまう。これは通常であれば良いことだが、集団全体としては本来知りうる情報が手に入らないことになる。それほどよく物事を知らなくても、違うスキルを持った人が数人加わることで、集団全体のパフォーマンスは向上する。

 先に書いた後者の人たちは、その集団で得た知性や自分の経験を利用して間違った方向に強引に持っていく場合が多いように思える。また、マンネリ化した風土があると、どうしても集団内部での常識が判断を誤らせてしますことが起きる。そういう意味でも新しいメンバーが入れ、集団としての多様性を維持することは大切だと思う。