事象の地平線で、日経サイエンスに掲載された茂木健一郎氏の「わかりやすさの病」というコラムを取り上げている。

 昨今の日本人は、「わかりやすさ」の病にかかっているように見える。科学的知見を解説する場合でも、あたかもそれが絶対的な真理であるかのように「断言」することが求められることが多い。

とある。そのあと、科学的真実は仮説であるという説明があり、

 科学することの中核には、現状に対する批判精神がある。ポピュラーサイエンスの文化において、日本人が「わかりやすさ」の病にかかっているとすれば、その批評精神の欠如はより広い社会的文脈においても害をなしているはずである

と指摘している。

 もともと、日本人は、科学者の間では常識である「現状に対する批判精神」が薄い国民だと思っている。一般の社会では、批判よりも同調の方が優先されることが多いと思う。「まずは疑え」的な考え方は、性善説の強い、戦後の日本では教えられてこなかったんだと思う。
 また、昨今の会社では、スピードを最優先する傾向にある。商品開発の場合、他社に先駆けて商品を開発し、一歩先に出て上市する。そんなことが優先されている。したがって、その商品の効果がどうして出るのか、またどの程度効果があるのかといった検証作業が、往々にして上市してから行われるといったことも起きている。これが、最近のリコールの多さだと思う。
 特許などで、「効果がどうして出るかはまだ解明されていないが・・・」という文面をよく見る。これは、ノウハウを隠す意味合いで使われることもあるが、とにかく特許を早く出すために理論武装は二の次といった意味合いが濃い場合が多いと思う。
 教育の世界だけが、そうなのではなく、社会全体にそういう風潮が蔓延しているのだと思う。子供は、学校から学ぶ部分も多いが、家族、特に親から自然に学ぶ部分も多いと思う。大人がそういう態度だと、子供も自然にそうなってしまう。