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擬音語・擬態語の今昔

山口仲美著『犬は「びよ」と鳴いていた~日本語は擬音語・擬態語が面白い』(光文社新書

 著者山口さんの話だと、900年前の『今昔物語集』に見られる擬音語・擬態語を丹念に調べると、5割から6割近い語が現代まで継承されているそうです。

 例えば、『今昔物語集』では、コソコソは、すき間から板がひそかに入ってくる音として使われています。ひそかに何かをするとき、コソコソとかヒソヒソなどを今でも使いますよね。

 サラサラは、算木置いたり、払ったりする音・波が打ち寄せる音・大量の芋がゆをかきまわす音・蓑を脱ぐ音などに使われているそうです。現代の感覚とは、ちょっと違うように感じますが、現代の我々のイメージと、この時代の人たちがサラサラからいだいたイメージとはそれほど違わないと思います。芋がゆの場合、「中身の芋がゆが非常に少ないのだろうな」などと想像を膨らませることもできます。

 ツブツブは、鯰(ナマズ)を切る音だそうです。今では、ひっくり返してブツブツと使っているような気がしますが、非常に近い音だと思います。

 キラキラは、日がさしこむさまや物が日に反射して光るさま。これは、現代とまったく同じ使い方ですね。

 このように、擬音語・擬態語は、流行語のように流行廃りが激しい言葉に思われがちですが、実はそうでも無いことがわかると山口さんは仰っています。

 では、どうしてそういう感覚になるのでしょうか?それは、ここ40年という『今昔物語集』からの900年という長いスケールではなく、短いスケールで見るとわかるといいます。

 40年前の資料としては、天沼寧編『擬音語・擬態語辞典』(東京堂出版)を使ったそうです。この時点は、1972年3月から翌年の3月末までの新聞を中心に調査して作られているので、資料としては最適なのだそうです。

 40年前の例として、次の例が挙げられています。

雨戸というものは、苦労のたね。戸袋からやっと引き出したら敷居が走らず、ガタピシ、ガタピシ。
(「毎日新聞」1971年7月11日)

 40年前の雨戸といえば、木で作られたものが主流。戸袋から出すのも一苦労だし、出したはいいがそのあと木で作られたレールを滑らすのがまた大変。商品名は忘れましたが、雨戸や木枠の窓を滑りやすくするためにレールに貼るシールみたいな商品があったような気がします。そのぐらい、雨戸や窓の開け閉めが大変だった。

 そこで、ガタピシとかギーとかいう音が雨戸や窓の開閉に使われていました。いまでは、木に代わりアルミサッシになっていますから、こうした擬音語は使われなくなりました。今の子どもたちが聞いたら、はてなマークの嵐でしょうね。

 こうやって、考えてみると、この50年の間にずいぶんと環境が変わっていることに気づかされます。50年前、パソコンは、もちろん、電気で保温ができる炊飯器やポットなどもありませんでした(電子ジャーができたのが1972年らしいです)。電子レンジももちろんありません。

 電話機は、黒電話が主流で、電話のベルといえば、リーン!でした。今のように電子音や音楽で着信を知らせるなどということはありませんでした。

 急激な時代の変化によって、使っている機器の素材が変わったり、そのもの自体が無くなったりして、その機器の音を表す擬音語・擬態語が消えていったもしくは変わっていったのでしょう。

 こうしてみると、時代の変化に伴って、使用される言葉が変化していくのは当たり前のことで、そうした言葉の遍歴を記録に留めていくことも必要なのかもしれません。

 一万年も続いた縄文時代、文字というものが無かったために、その時代の記録が遺跡以外は残っていません。こうした空白を作らないためにも歴史を記録するということは必要だと思います。