自然環境とストレス

 先日、千葉大学アグリ・農芸化学研究シーズ発表会で、宮崎教授の「森林セラピーの生理的リラックス効果」という発表を聞いてきた。森林や園芸によるストレス開放を定量化しようという試みを実施しているという。私たちが感じる快適性を血圧、脈拍数、心拍変動などの自律神経系活動指標と脳はなどの中枢神経系活動指標、そして副腎皮質ホルモンの一種であるコルチゾールの変化などの内分泌・免疫系指標を定量化することで、リラックス効果を測定しようとしているらしい。ちなみに、脳波のα波というのは、現在ではリラックス効果の指標としては使えないそうだ。α波がでているからといってリラックスしているとは限らないらしい。
 ところで、森林や園芸のある公園などにいるとほんとうにリラックスするのだろうか。公園は、人工的なものなのである意味で自然から保護されているのだから安心な気持ちになる場合もあるが、自然の山中にある森林だと、他の動物(例えば熊など)に襲われる可能性もあり、決してリラックスできる状態ではないと思うのだが・・・。
 何で、こんなことを言うかというと、こんな話しが引用されていた。

 「人間が人間になって500万年の間、人間が生活してきたのは自然環境でした。人間の歴史の中で都市が出現したのはごく最近のことです(中略)人間の生理機能は(中略)すべてが自然環境のもとで進化し、自然環境用に作られています。」(佐藤方彦著「おはなし生活科学」(日本規格協会))

 自然環境と都市環境を区別することは、よく使われているので、違和感が無いかもしれないが、人間が作った環境、人工的な環境というのは、はたして自然環境と区別できるものだろうか?例えば、森林でも人工的に作ったものが多いし、人が手を入れないと森が育たないといった話しも良く聞く。こうして人の手を加えられたものは、自然といえるのかそれとも人工物といえるのか。
 都市にしても、コンクリートや鉄骨でできているかもしれないが、もともとはこの地球にあったものを形を変えてすり替えただけのものとはいえないのだろうか。コンクリートに使われている砂利や砂、そして鉄骨に使われている鉄などは、自然環境にいくらでも存在している。それに人間が手を入れて建物や造形物になっているのである。
 従って、自然環境と人工的な環境を完全に区別するのは難しいと思う。そもそも、上の引用にあるように人間自身が地球という自然環境の上に存在する生き物なのだから、どんな地球環境になったとしても自然環境で生活していることには変わりないと思う。
 例えば、地球温暖化は、人間生活に起因しているといっても、温暖化という減少は自然の中に現れる。我々が住む環境でも動植物が生活している森や海といった環境でもその影響は出てしまう。決して、両者を切り離すことはできない。
 こうして考えてみると、大括りにして自然環境という言葉を使用すること自体があいまいな気がする。ある特定の植物が与える人間へのリラックス効果などある程度具体性のあるテーマであるなら、定量化も可能かもしれないが、自然という大きな枠組みでその効果を定量化するというのは、難しいと感じてしまう。