可動遺伝要素

ジェームス・D・ワトソン、アンドリュー・ベリー著「DNA (下)―ゲノム解読から遺伝病、人類の進化まで (ブルーバックス)」からの抜粋。

 DNAを増やす原因としていっそう大きいのが、自らを複製してゲノム中の二カ所以上に入り込む遺伝子配列があることだ。今日では、このいわゆる「可動要素(または可動遺伝要素)」にはさまざまなものがあるとわかっている。しかし1950年にバーバラ・マクリントックがその発見を公表したときには、メンデルの単純な論理に慣れきっていた科学者にとって、「飛び移る」遺伝子というアイディアはあまりに突飛だった。
 彼女は、異なる色の粒をもつトウモロコシの基礎にある遺伝を研究するうちに、個々の粒が発生の途中で色を変える場合のあることに気がついた。そのために、ひとつの粒が黄色の細胞と紫の細胞の両方をもち、まだらになるのだ。この変化をどう説明すればいいのだろう?マックリントックは、ある遺伝子配列(可動要素)が色素遺伝子に飛び込んだり、あるいはそこから飛び出したりするのではないかと考えた。
 可動遺伝要素はめずらしくも何ともないことが明らかになったのは、ようやくDNA組み換え技術が開発されてからのことだった。今日では、可動遺伝要素はヒトゲノムをはじめ多くのゲノムの中で重要な部分を占めている。
 可動要素には、ある種の酵素を暗号化しているDNA配列が含まれている。その酵素は染色体DNAを切り貼りし、特定の配列を染色体上の別の位置につなぎ入れる働きをする。もし可動要素がジャンクの中に飛び込んだとしても、その生物の機能に影響はなく、ジャンクDNAが増えるだけのことだ。しかし、可動要素が重要な遺伝子の中に飛び込むと、その遺伝子の機能は失われる。そして自然選択の働きにより、その生物は死ぬなどして、飛び込んだ遺伝子を次の世代に伝えることはない。だがきわめて稀に、可動要素の移動により新しい遺伝子ができたり、あるいは既存の遺伝子がその生物にとってより有利なものに変わったりすることがある。
 従って、長い進化のプロセスを通じて、可動要素は主として新しい性質を生み出すように働いてきたと思われる。興味深いことに、最近のヒトの進化においては、可動要素が移動したという証拠がほとんどない。私たちのジャンクDNAの大半は、大昔にできたものらしいのだ。それに対して、マウスのゲノムには活動中の可動要素がたくさん含まれており、ゲノムは激しく変化している。だからといって、それがマウスという種に災いしているようには見えない。マウスは本来生殖能力が高いため、重要な機能をもつ遺伝子の中に可動要素がたびたび飛び込んできても、その遺伝的災難に耐えられるのだろう。

 ヒトの遺伝子数が約35000とみられているのに対して、ゲノムの大きさは310億塩基対と非常に大きい。遺伝子の地図作りに携わる人たちの言葉を借りれば、「ヒトのゲノムは、不毛な荒れ地のとことどころに遺伝子というオアシスがあるようなもの」なのだそうだ。では、ゲノムの大半の部分はどういうものだろうか、これは、意味をもたない繰り返し単位で構成されていてジャンクと呼ばれている。このジャンクは、遺伝子の受け渡し時にも自然選択でできたり、ここで引用しているように、可動要素によっても作られるらしい。進化のプロセスでは、遺伝子の設計変更が重要なキーになっている。幸いにして、我々人間は、かなり昔にできた設計図を未だに使い続けているらしい。