RNAワールド

 ジェームス・D・ワトソン、アンドリュー・ベリー著「DNA (上)―二重らせんの発見からヒトゲノム計画まで (ブルーバックス)」からの抜粋。

 細胞内におけるRNAの主要な役割がわかったことから、興味深い疑問が生じた。DNAの情報をアミノ酸配列に翻訳するにあたって、なぜRNAを介入する必要があるのだろうか?
 遺伝暗号が解読されるとすぐに、フランシス・クリックはこのパラドックスに対し、RNAはDNAよりも早くから存在していたからというアイディアを打ち出した。最初の遺伝に関与した分子はRNAだったのであり、かつて生命はRNAを基礎として成り立っていた−つまり、現在の(そして過去数十億年にわたる)「DNAワールド」に先立って、「RNAワールド」があったというのだ。クリックは、RNAの化学的性質から(DNAの骨格に含まれている糖がデオキシリボーズであるのに対し、RNAではリボースであることから)、RNAは自己複製の触媒となる酵素としての性質をもつかもしれないと考えた。
 彼は、DNAのほうが遅れて発達したに違いないと主張した。その理由はおそらく、RNA分子が比較的不安定だからだろうと彼は考えた。RNA分子はDNA分子よりもずっと分解しやすく、突然変異を起こしやすい。もし遺伝子データを長期にわたり安定して保存するための分子が必要なら、RNAよりもDNAのほうがはるかにその役目に適している。
 DNAワールドに先立ってRNAワールドが存在したというクリックの考えが注目されるようになったのは、ようやく1983年のことだった。その年、コロラド大学のトム・チェックとイエール大学のシドニー・アルトマンが、RNA分子が実際に触媒特性をもつことをそれぞれ独自に示し、その仕事により1989年にノーベル化学賞を受賞した。(中略)
 RNAは、いわば先祖伝来の道具のようなものである。自然選択によっていったんひとつの解決策が見つかると、自然はそのやり方をなかなか変えようとせず、「壊れるまで修理するな」という処世訓に従う。つまり、変えろという圧力がかからなければ、細胞は新しいことを始めようとせず、そのために過去の進化の遺産がたくさん残されているのだ。ある反応仮定が現実に起こっているのは、それが最初にそのようなものとして進化したからにすぎず、もっとも効率が良いからではないのである。

 クリックのこの考え方は、DNAとタンパク質のどちらが先に発生したのだろうか?という「ニワトリとタマゴ」問題に答えを出した。RNAがニワトリでありタマゴなのである。