谷中しょうが

 生ビールがうまくなる初夏に下町の飲み屋へ行くと、「初物・谷中しょうが」と書いた品書きを目にします。「谷中で採れるわけないよね。」と冗談で言った覚えがあります。ところが、当たらずとも遠からずで、谷中の隣、日暮里駅近辺で栽培されていたそうです。日暮里駅の東側は、文頭に書いたとおり平地になっています。関東ローム層の下層から湧き出る清水がたくさんあったため、水田や蓮田が大正末期まで広がっていたそうです。この辺の地名を昔「谷中本村」といい、そこで採れた生姜を「谷中しょうが」といったそうです。当時の「谷中しょうが」は、筋もなくやわらかくて独特の味がしたそうです。江戸時代、谷中の寺院では、ご贈答用品としてこの「谷中しょうが」が用いられていました。大正末期まで、日暮里で栽培されていましたが、その面影は今どこにも残っていません。ところで、今店先に並ぶ「谷中しょうが」は、いったいどこで採れたものなのでしょうか?

◆参考文献
 森まゆみ著「谷中スケッチブック」(ちくま文庫)
 向田邦子著「寺内貫太郎一家」(新潮文庫
 地域雑誌「谷中・根津・千駄木」其の三十二
谷根千工房編)
 久世光彦著「触れもせで」(講談社文庫)