江戸・明治・大正・昭和が今も同居する町  谷中

 今回は、以前会社の顧客向け情報誌に連載した東京下谷〜浅草界隈の紹介の中で、自分として気に入っていたものを掲載します。ハッキリ言ってさぼりです。

 上野から山の手線の内回りに乗ると、進行方向右(東)側は平地ですが、左(西)側には高台が見えます。この高台は、上野の山から鴬谷、日暮里の東を通り、田端、駒込へと続いています。この高台を西側に降りると千駄木、根津のある谷となり、さらに西側へ進むとまた本郷台の高台へと上っていくことになります。谷中は、上野の山から続く高台の西側斜面に広がる町です。「谷中スケッチブック」(ちくま文庫)の著者である森まゆみさんは、その本の中で、
 現在の谷中の地名では一〜七丁目しかないけれど、近くの住民が「今日は谷中に買い物」といえば、旧藍染川沿いの「よみせ通り商店街」や「谷中銀座商店街」で買い物ということだし、「谷中を散歩する」というと、日暮里や根津、桜木町まで入れるというのが普通である。事実、池之端に谷中清水町もあったし、かなり広い範囲を谷中として考えてもよいと思う。
と書かれています。つまり、現在の地名でいえば、台東区谷中一丁目から七丁目を中心に上野桜木町、池之端の一部、文京区千駄木、根津の一部、荒川区西日暮里の一部が含まれることになります。江戸時代の「江戸往古図説」には、「谷中、いにしえは谷にて三崎につづき駒込と上野の間になる故、下谷に対していへるなるべし」と書かれており、根津や千駄木などの谷に広がる町も谷中に含まれたことが示されています。文政のころ、谷中から根津、千駄木が別れていったそうです。