読売新聞4月7日の社説。

テレビとインターネットに垣根があるのは、著作権法のせいだ、という声が出ている。政府も、ネットで番組が流しやすくなるよう、著作権法の抜本改正を検討している。そんなに単純な問題だろうか。
 視聴者には、両者に違いはないように見える。だが、放送局が両方に同じ番組を流そうとすると差は大きい。
 放送には、公共性を考慮した著作権法上の特例があるためだ。音楽や映像などの著作物は原則として、著作者の許可なしに複製・利用できないが、放送は事後承諾でいい。
 総務省などは、こうした特例をネット配信に広げることを目指している。放送との垣根をなくすことで、番組の流通促進と制作の活性化を狙っている。 だが、特例の拡大は、音楽会社や作曲家、歌手たちのような著作権者の権利を縮小することを意味する。この問題の検討に乗り出した文化庁の審議会にも、強硬な反対意見が寄せられている。
 電波という公共財を使う放送は地域別の免許制だが、ネット配信は、こうした規制がしにくい。特例を利用する配信事業者や個人が、次々に出て来る事態も想定しておかなくてはならない。
 テレビ局には、過去の放送番組が大量に保管されている。ネット配信用の貴重な財産と期待されるが、放送以外での利用は、改めて出演者たちの許可を得る必要があり、死蔵状態になっている。
 著作権法の改正は、こうした番組の活用も目的としている。欧米では、放送局などが特例に頼らず、著作権者らと事前に契約を結ぶ方式を取っているため、ネット配信も日本より広がっている。
 法改正しなければ何もできない、と考えるのではなく、過去の慣習を見直すなど、幅広い方策を検討したい。

 はっきり言って何が言いたいのか判らない。総務省などがネット配信を促進するため、著作権法の抜本改正を検討していることについて、反対しているのだが、反対の理由がよく判らない。 素直に受け止めれば、

 今まで、テレビなどの放送メディアは、厖大な費用をかけて、放送網を構築してきた。その放送網を危うくする、費用が余りかからないネット配信の普及を促進されると、今までの放送メディアは、たまったものではない。著作権の改正は、大量に保管されている過去の放送番組の死蔵状態の改善も目的にしているが、その部分は、放送メディアで解決していくつもりだ。従って、ネット配信の促進を進めるようなことはしないで欲しい。

と言っているようにみえる。これって、ただの放送メディアのわがままじゃないの。異業種参入をどうにか防ぎたい。保守的な考え方で、市場競争主義に逆行する考え方だと思う。
 梅田望夫氏は、「ウェブ進化論」の中で、

 チープ革命の恩恵で表現行為と発信行為のコスト的敷居がこれほど低くなる前は、表現した何かを広く多くの人々に届けるという行為は、ほんのわずかな人に許された特権だった。(中略)そうなるためには、テレビ局、出版社、映画会社、新聞社といったメディア組織を頂点とするヒエラルキーに所属するか、それらの組織から認められるための正しいステップを踏まなければならなかった。(中略)プロフェッショナルを認定する権威は、メディア組織が握っていた。これまでは表現者の供給量を上手にコントロールしていたメディアだったが、ブログの出現によって、コンテンツ全体の需給バランスは崩れはじめたのだ。
 ブログ世界を垣間見て「次の10年」に思いを馳せれば、この権威の構造が崩れる予感に満ちている。敏感な人にはそれがすぐわかる。

と述べている。この社説を書いた人は、この敏感な人のひとりなのだろうが、あまりにも論理的でない社説になっている。論理のすり替えで反対意見を書いても何の効果も生まれないと思う。
 事実を認識し、ルールに従って、他の業種が参入できない次の手を打つことを考えるべきではないか。