ロバート・セインバーグの仮説(2)

 デイヴィッド・ウォルマン著「「左利き」は天才?―利き手をめぐる脳と進化の謎
」からの引用。

 セインバーグは自宅でスペアリブとビールの夕食を楽しみながら、自分の研究からはもう一つじつに興味深い結論が引き出せる、と教えてくれた。ぼくたちが当然のように受け入れている考え方の枠組みを、「バンカーバスター」爆弾なみの破壊力で打ち壊すその結論とは、そもそも利き手とか非利き手とかいったものは存在しないという考え方である。第2章で、コーバリスによる右利きの単純な定義を紹介したが、それをもう一度思い出してほしい。「片手で行う作業の大半において右手を使うのを好み、両手を用いる作業(ビンの蓋を開けるなど)では右手が主要な役割を果たす」だが、セインバーグの研究によれば、右脳−左手、左脳−右手のコンビはそれぞれ得意分野が違っていて、仕事の種類によっては、利き手でない方の手をコントロールするシステムのほうが優れている。言い換えれば、右利きの人にとって、蓋を開けるのは右手の仕事でも、ビンを支えるのは左手の仕事ということだ。
 利き手の研究がえてして実地観察に大きく頼りがちなのに対し、セインバーグは対照実験も行っていて、バーチャルリアリティ(仮想現実)の装置を作るなどして協調運動機能を調べている。被験者は特殊なテーブルの前に座り、テーブル上に表示された目標地点まで片腕を使ってカーソルを動かす。カーソルは被験者の手の位置を表しているが、テーブルが二層構造になっていて、被験者は下の層に腕を入れて動かすため、上からは自分の手そのものを見ることができない。実験の内容によって、調べる対象は目標地点に到達する速さであったり、正確さであったりする。ある実験でセインバーグは、カーソルを一瞬表示しただけですぐに消してしまい、被験者が自分の手もカーソルも見えない状態で目標地点まで動かざるをえない状況を作った。どういう結果になったと思うだろうか。どちらかの手を使ったときに動きが不安定になったと予測するなら、それは正しい。だが、「力の強い」手の法が上手にできたと予想するなら、考え直した方がいい。
 じつを言えば、どちらの手にも実験の目的によって得意不得意のあることがわかった。目標地点まで無駄のない動きで到達することに関しては、利き手のほうが上だ。だが、正確さにかけては、利き手でないほうが優れている。セインバーグはこの結果を次のように解釈した。利き手とそれをコントロールする脳半球のチームは、動きの最中に必要となる力を予測するのがうまく、少ないエネルギーでなめらかな動きを生みだすことができる。一方、利き手でない手はなめらかさに欠けるものの、目標地点にたどり着く正確さではまさる。「つまり、とにかくどこかの場所に手を届かせたいだけなら、利き手じゃないほうの手を使えばいいんだ」とセインバーグは説明する。「標的に向けて物を投げるような、決まった形と速度をもった動きをしたいなら、利き手で行ったほうがいい」

 このセインバーグの考え方は、自分にとって非常に受け入れやすい。左ききの自分は、時として左右を使え分ける。例えば、野球。ヒットを狙いたいときは、右打席に入る。そして、長打を狙いたいときには、左打席に入る。
 これは、左打席のほうがボールを遠くに飛ばせるが、コントロール性が劣るからだった。利き手を主に使う動作で、パワーを必要とするときだけ利き手を使い、それ以外は非利き手を使って正確さを出す。当然、普段は右打席に入っていることになる。従って、左投げ右打ちといったあまりいないタイプの野球選手だった。もちろん、野球部などに所属していたわけではないので、草野球での経験ではあるけれど。
 また、はさみも非利き手を使っている。確かに左きき用のはさみが近くにない環境で育ったからというのも事実だが、大人になって左ききのはさみを使えるようになっても右利きのはさみのほうが使いやすいのである。現在は、デスクワークになってしまったが、技術にいた頃は、はさみやミシンなど普通男の人が使わない器具を使っていた。思い通りの方向にはさみを入れていくといった微妙なコントロールを必要とする作業はは、自分の場合右手つまり非利き手を自然に使っている。
 ただ、毎日同じ行動を繰り返す作業、例えば通勤の時に通る自動改札機に定期券を通すなどの作業は、利き手である左手を使っている。じつは、自動改札機は右利き用にできているので、非常に通しづらいのだが、それでも左手を使っている。
 ズボンの左後ろポケットから左手で定期券を取り、右手でケースから定期券を取り出し、そして、左手に持ち替えて自動改札機に通している。この作業は、ほとんど無意識に行っている。そして、左手で定期券を自動改札機に通すとき、やりづらいなと思うのである。