発掘!あるある大事典Ⅱねつ造で思うこと

 多くの方が、あるある大事典のねつ造問題についてコメントを書かれているが、自分がいちばん不思議に思ったのは、不二家の報道とあるある大事典の報道の違いだった。不二家の場合、ISOを取得していたにもかかわらず、品質管理がずさんだということで、会社継続ができるかどうかの状態に追い込まれている。品質管理のずさんさを毎日のように追加してテレビなどでは報道している。一方、あるあるのほうだがほとんどの内容がねつ造だったという内容は報道されても、過去にどれだけねつ造があったかとかの報道はなく、番組内でのねつ造までで話が止まっていて、企業がどういう企業で、その企業の姿勢がどういうものなのかといった企業としての体質にせまった報道はなされていないように思える。
 どちらも今回の事件で病院に行くレベルの被害は発生していない。それなのに、あるあるの方が、番組打ち切りというだけで終わってしまう可能性がある。企業としてのモラルを問われることはないように思われる。
 報道の場合、報道の品質管理といった考え方はあるのだろうか?番組をねつ造するといった行為は、報道として下の下だと思う。娯楽番組だからとおっしゃる方もいるが、情報発信という部分では、報道に違いない。事実を伝えるという報道に関しては、きちんと品質管理を行ってもらいたい。それが、できないなら報道関係の企業は一流とはいえないと思う。報道の品質管理体制を真剣に考えてもらいたい。モラルという表現ですべてを覆ってしまうやり方が、製造業ではもう通用しない時代に入っている。なぜ、報道関係のみがモラルで全てを解決してしまうのか非常に疑問に感じる。
 そういえば、新聞社やテレビ局などはISOを取得しているのだろうか?あまり、取得したという話は聞いたことがない。21世紀は情報の時代といわれるなか、今回のおそまつは、日本の報道機関の質を露呈した結果になったのではないだろうか。
 もちろん、視聴者側の冷静な判断も必要だと思う。どう考えても、ものを食べて、運動もせずに痩せられるはずがない。こんな常識的なこともわからないで情報に流される方も問題だと思う。しかし、納豆が店頭から消えたのも事実である。人がいかに情報を鵜呑みにするかの見本のような気がした。確かに、情報の意味、とくに科学的要素を含んだものをきちんと理解するのは難しいと思う。しかし、間違った情報に流されないためには、最初から科学的な報道は疑ってかかることが重要だと思う。「ほんとうなのか?」と疑問に思っていれば、すぐに流されることはないし、後である程度知識を持った人に聞いてから判断するといったこともできる。
 ところで、今回の納豆騒動で、小学校の先生や中学校の先生あたりでだまされた人はいなかったのだろうか?先生と呼ばれている人たちは、子供たちの影響を考えると絶対この手の情報にだまされないようにしてもらいたい。