学術研究と特許

 ジェームス・D・ワトソン、アンドリュー・ベリー著「DNA (上)―二重らせんの発見からヒトゲノム計画まで (ブルーバックス)」からの抜粋。

 ハーバード大学のレーダーのグループは、がんを研究する過程で、乳がんをとくに発症しやすいマウスの系統を作った。遺伝子工学的に作り出されたがん遺伝子をマウスの受精卵に入れる技術はすでに確立されていた。マウスのがん誘発因子はヒトのものと似ていると考えられるため、この「オンコマウス(がんになりやすいマウス)」は、ヒトのがんの解明に役立つものと期待された。
 ところがハーバード大学の弁護士は、レーダーのチームが作ったマウスそのものに対する特許ではなく、がんを発症しやすいように遺伝形質を転換した動物すべてを含む特許を求めたのである。この包括的な特許は1988年に認められ、「ハーバードマウス」と俗に呼べれる、がんになりやすい小さなネズミが誕生した。レーダーの研究室はデュポン社の寄付を受けていたため、このマウスの特許権は大学ではなくデュポン社のものとなった。してみれば「ハーバードマウス」よりも「デュポンマウス」と呼ぶほうが適切だったろう。しかし名前はどうであれ、この特許はがん研究に甚大な悪影響を及ぼすことになった。
 がんになりやすいマウスでも、これとは別タイプのものを開発しようとしていた企業は、デュポン社から実施料を請求されて開発を中断せざるをえなくなり、既存のオンコマウスで薬のスクリーニング試験を行おうとしていた企業も計画の縮小を余儀なくされた。さらにデュポン社は、大学や研究所に対し、自社特許のオンコマウスを使用して行っている実験の内容を公表するよう求めてきたのだ。
 これは大企業が大学の研究に介入するという、前例のない、そして到底受け入れられない自体である。UCSF、MITホワイトヘッド研究所、コールドスプリングハーバー研究所をはじめとする研究機関は、この要求を拒否している。
 必要な分子操作を行うために欠かせない”実現技術”に特許を認められてしまえば、その特許をもつ者はその分野全体を人質に取ることができる。個々の特許はそれぞれの価値に応じて扱われるべきだが、そこにはいくつか一般的ルールがあるはずだ。科学の進歩にとってなくてはならない手法に関する特許は、コーエン-ボイヤーの先例に倣って運用されるべきである。
 すなわち、技術は広く利用でき(単一の実施権者に握られてはならない)、実施料は適切な額でなければならない。この制約は自由な経済活動という価値観に反するものではない。もしその新しい手法が真の進歩ならば広く利用されるはずだし、低額の特許権使用料でも大きな利益を生むだろうからだ。一方、薬品や、形質転換した生物といった「製品」に対する特許は、生産された特定の製品そのものに限定されるべきであり、それから考えうる広範な製品にまで広げるべきではない。

 自分も包括特許には反対である。包括特許は、ある面、防衛的な部分があり、技術の進歩に対して後ろを向かせる傾向があると思う。日本でも業界を牛耳るために膨大な数の特許を申請し、自由競争を結果的に阻害している特許が多々見受けられる。特許権、著作権、出版や放映などの版権など、21世紀に見直しをおこなわなければならない権利が多々存在している気がする。