遺伝学の最大の功労者

 ジェームス・D・ワトソン、アンドリュー・ベリー著「DNA (上)―二重らせんの発見からヒトゲノム計画まで (ブルーバックス)」からの引用。

 私たちは何世代にもわたり、最初の目的にかなった種だけを飼い慣らし、次にはたくさん仔を産む牛や、大きな実のなる果樹を選抜して育てることにより、人間に都合のいい動物や植物を手に入れてきた。記録には残されていないこうした莫大な努力の根底にあるのは、たくさん仔を産む牛は、やはりたくさん仔を産む子孫を残し、大きな実のなる果樹からは、やはり大きな実をつける果樹が育つという、単純な経験則だった。
 遺伝学はこの百年ほどのあいだに驚くべき進歩を遂げたが、遺伝学上の洞察は二十世紀、二十一世紀だけの専売特許ではない。なるほど、イギリスの生物学者ウィリアム・ベイトソンが”遺伝学”という言葉を作ったのはようやく1909年になってからのことだし、DNA革命は計り知れないほどの新たな進歩の展望を開きはした。
 しかし遺伝学を人類の幸福に役立てた最大の応用は、はるか昔の名もない農民たちによって成し遂げられたのである。穀物、果実、肉といった、私たちが口にするほとんどすべての食物は、古代に行われたもっとも初期の、そしてもっとも遠大な影響を及ぼすことになった遺伝子操作の遺産なのである。
 しかし遺伝のしくみを実際に解明するのは、それよりもはるかに難しかった。

 今我々が、手にしている食物はすべて人間にとって勝手の言いように改良された品種であるという話を聞いたことがある。我々が食料としている食物は全て人口のものであり、人間の手で改良がなされたものだという話だ。自然崇拝者の間では、無農薬であれば、天然物のように感じている人がいるのかもしれないが、古代から人間はしたたかに植物や動物を人間にとって都合が良いように改良してきたのである。
 そして、それらの植物や動物は、それぞれ人間が管理できる環境下で育てられている。植物は畑や田んぼで育て、動物は畜舎を建てて管理している。こうした歴史的背景を踏まえた上で、遺伝子組み換え食品に対する対応を考えていく必要があるのではないか。ただ、直感的に不安だ、他の植物との交配が心配だと考えてしまいがちだが、人間が築いてきた過去の経験を踏まえた上で判断していく必要があると思う。農作物で育てられた品種と自然に存在している品種で交配が起きているのか、起きているとすると、どう影響しているのか、そんなことも考えながら、遺伝子組み換え食品に向かい合う必要があると思う。
 あと10年もすると、世界的な食糧事情はがらりと換わる可能性がある。それまでに、我々ができることを真剣に考えておく必要があると思う。