日本化学工業協会の対応

 NHKのためしてガッテンで放映された「環境ホルモン」に関して、日本化学工業協会が意見書をNHKに送った内容が公表されている。適切な対応だと思う。番組の偏りに関して言及しているし、環境ホルモンに対する対応方法に関しても妥当だと思う。
 このホームページは、環境省が監修しているのだが、市民団体の意見や環境ホルモン学会の意見も合わせて掲示してある。これもいいことだと思う。それぞれの意見が見え、何が問題なのかを客観的に見ることができる。
 今回は、市民団体側として、化学物質問題市民研究会の意見が併せて掲載された。内容を見ると、いくつかの点で市民団体が勘違いしていることがわかる。一つめは、SPEED'98の結論のひとつ、「ヒトへの影響が認められなかった」を「ヒトへの影響はなかった」と置き換えて解釈している。SPEED'98の結論をもう少し詳しくいうと、「現在ヒトが暴露されている量を考えた場合、ヒトへの影響が認めらなかった」という結論であり、まったく、ヒトへの影響がないとは言っていない。大量に暴露される環境下では、十分問題が発生する可能性はあるのだ。市民団体は、暴露量をまったく考慮に入れないで判断をしていることになる。
 二つめは、科学者が発表する研究結果に関しての対応。科学者が研究成果として発表する内容は、発表後他の科学者によって、その可能性があるのか、実験に関しておかしなところはないかなど、精査されてはじめて意味を持つようになる。その前の段階の発表内容は、基本的に疑った見方をしている方がよい。ある人に言わせると研究論文の7割は、その後否定されたり、修正を受ける。ところが、市民団体が出す論文はどうもその精査を受けていない、もしくは、精査を受けていて、論文内容に対して否定的な見方を他の科学者がしているにもかかわらずその論文内容のまま引用している場合が多い。
 そして、三つ目は、相変わらずゼロリスクを求めている。リスクコミュニケーションにおいて、行政や産業界はリスクに関する情報をすべて公開すべきと言っている。しかし、普通の生活を考えてみて欲しい。例えば、隣の家の人と話す場合、あなたはすべての情報を相手に伝えて話をしているだろうか。自分の内面をすべて人に示すことなどできないと思う。どんなに正直な人であってもどこまで伝えればそれが実現できるのかは判断できない。相手にしてもそうだと思うし、話をする場合に相手の考えや意見を推測して話をしている方が多いのではないだろうか。自分と他人には、どうしても超えられない部分があるのだ。普通の生活でも、ゼロリスクで生活するのは不可能だ。従って、すべての情報を公開すると言うことは無理なのである。人それぞれの感じ方が違うのだから、どこかまでいっても全部公開されていることにならない。
 市民団体の考え方は、団体によって違いはあるのだろうけれども、ゼロリスクに対する考え方は大旨同じと見ていいと思う。
 われわれ一般市民は、この部分をよく理解して、市民団体の意見を判断しなければならない。市民団体がよく使う一般市民は、本当の意味での一般市民とは異なっている。