いかにして法を成立させうる政治的回路をネットワークに実装するか

白田秀彰著「インターネットの法と慣習 かなり奇妙な法学入門 [ソフトバンク新書]」からの引用。

 私は「ネットワークには独自の法あるいは固有の価値がありうるはずだ」という主張を揚げている。ところが実際には、そうした独自の法や価値は、なかなか成長しないし明確化されない。その理由として、私たちが「名」を賭けてネットワークにおいて活動することを避けようとするため、法が発生する基板となる「責任帰属主体」がアヤフアであること、「名」を揚げた主体が希薄であるため、規範形成に必要な権威の成長と典礼の整備が阻害されていること、とくに日本のネットワークにおいて、政治的に活動することが忌避されていること、を指摘した。こうして、ネットワークにおいて成立しえたかもしれない固有の価値は、明確な主張や要求として形成されず、それがゆえに、モヤモヤとした不満や不都合がネットワークに蔓延し、さまざまなメンドウな事態が生じているのではないか、と考察した。(中略)
 こうした流れを受けて、最終章を書くとすれば、それは「いかにして法を成立させうる政治的回路をネットワークに実装するか」という問いに対する答えを提示する必要がありそうだ。私はとりあえず政治的回路を形成するための条件について、ここまでの文章で述べている。それは、政治的に行動できる人々が、責任ある同一性を持った状態(題名あるいは一貫した変名)で、ネットワークにおいて行動することであり、かつ、私たち一般の人々が、そうした政治的に行動しうる人々をちゃかしたり馬鹿にしたりせず、その主張と活動の当否を理性的に評価することである。これらの条件が成立すれば、私たちは、政治的な人々の中から適切な人を権威として選び出すことができるだろう。権威が成立すれば、少なくとも政治的決定の争点が明確化し、規範形成において当否を判断しうる足がかりが得られるだろう。

 この部分が著者の主張していることだと思う。この後、今の政治が一般の人々と如何にかけ離れているか、そして、官僚にずば抜けたエリートなど存在していないこと、また、市民団体やボランティア活動などには期待できないことなどが述べられている。
 「政治的に行動しうる人々をちゃかしたり馬鹿にしたりせず、その主張と活動の当否を理性的に評価する」という姿勢が育つには、かなり時間がかかるような気がする。しかし、これができないとネットワーク上の法などは作れないだろう。ネットワーク上のロングテールがどういう形がよいのかわからないが、ある場で結集し、まじめにネットワーク上の政治的課題を議論し合う、模擬国会みたいなものが成立し、そこで集約された意見をもって国会に参戦するといった構図になるのだろうか。
 少なくとも、今の国会議員や政党に期待できるものは何もない気がする。