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頭の中にある自分だけの地図

 角田さんが「恋するように旅をして (講談社文庫)」のあとがきで、「世界を旅しながら、自分の頭の中にある地図に、行った場所を付け加えて、自分なりの世界地図を作っている。」というような内容を語られているのだが、世界とまでいかずとも、日常の地図は、自分の頭の中に確かにある。そして、それは地図を見て憶えたものとは違って、自分の経験をもとに自分が歩いたり、車で走ったりして、作った地図なのである。
 例えば、自分の頭の中にある東京の地図は、実に途切れ途切れのものだ。上野と御徒町、そして秋葉原へと一直線につながってはいるが、左右となるとかなり心的ないものになっている。ピンポイントでお茶の水につながっていたり、神保町にはつながっているが、決して平面的に広がりがあるわけではない。
 自分が住んでいる草加にしても、そのすべてをイメージできない。ある部分とある部分が線でつながったもので、平面ではない。この線は、ほとんどが道である。もちろん車で走れる道である場合もあるし、人しか通れない道もある。どれも自分が歩いたり、車で走って憶えたものだ。
 この間も浜松町から東京タワーが見えていたので、そちらの方にまっすぐのぼっていくと、神谷町や日比谷方面を示した看板があった。碁盤上に町が形成されているところだと、これらの看板などが目印となり、それぞれの町名が平面的につながっていく。
 しかし、道がまっすぐでない土地では、この方法は意味をなさなくなる。実際に歩くか、走らないと頭の中の地図は描けないのである。
 こうしてみると、自分の頭の中にある世界地図は、日常の地図くらべれば、ないに等しい。だって、今まで出国したことがあるのは、アラスカ、香港、韓国ぐらいしかないのだから。そして、頭の中にある想像上の世界地図のほとんどは、地球儀や世界地図で憶えたものがもとになっている。しかしそれは、非常に曖昧な地図である。