ゴットフリート・ヴィルヘルム・フォン・ライプニッツ(1)

 E.オマール著「不思議な数eの物語」より引用。

 ニュートンとライプニッツは一緒にして微積分学の共同発明者といわれるのが常である。しかし、二人は性格的にはほとんど似たところがなかった。ゴットフリート・ヴィルヘルム・フォン・ライプニッツ男爵は1646年7月1日ライプチッヒで生まれた。哲学の教授の息子だった若いライプニッツは、やがて強い知的好奇心を示すようになった。彼の興味は、数学の他に、言語学、文学、法律、とりわけ哲学、などを含む広範囲にわたった。数学と物理以外のニュートンの興味は神学と錬金術だった。ニュートンの業績として我々がよく知っているのは科学の研究であるが、かれはそれにかけたのと同じくらい多くの時間をこれら科学以外の主題に費やした。隠遁的なニュートンとは違って、ライプニッツは社交的で、よく人と交わり、人生の喜びを味わうことを好んだ。彼は一度も結婚しなかった。これはおそらく、数学の興味を別にすれば、ニュートンと共通する唯一の特徴である。
 ライプニッツの数学への貢献の中で、微積分学の他に、組合せ論の研究、2進法に気付いたこと、掛け算と足し算のできる計算機を発明したこと(その約30年前パスカルは足し算だけができる機械を作っていた)を挙げておかなければならない。哲学者として彼は、すべてが理性と調和に従う合理的な世界の存在を信じていた。全ての推論がアルゴリズムに従って計算で進められるような形式的論理体系を開発しようと試みた。およそ2世紀後この考え方をイギリスの数学者ジョージ・ブールが取り上げ、記号論理学として今日知られているものの基礎を築いた。これらのさまざまな興味を通して共通の糸、すなわち形式的に記号化に没頭すること、が一本貫いているのが見られる。数学においては、よい記号や記号体系の選択が記号で表現すべき内容と同様に大切である。微積分学もその例外ではない。これから見ていくように、ライプニッツの方が形式的記号の使い方に一日の長があったため、彼の微積分法の方がニュートンの流率法より優れたものとなったのであろう。

 ニュートンが生まれたのが、1642年であるから、ライプニッツの方が4歳年下ということになる。ここで述べられているライプニッツの哲学的発想がどのようなものだったかは知らないが、記号を合理的に使うという考え方は、ライプニッツの微積分法には顕著に表れていて、それが現在でも使われている。お馴染みの微分の分数記述(\frac{dy}{dx}\frac{\Delta{y}}{\Delta{x}}など)はライプニッツの考案である。
 しかし、こうも性格の違う二人が同時に同じ数学的方法を発明したのだろうか?