ルメートルの宇宙とガモフの宇宙

 サイモン・シン著「ビッグバン宇宙論 (上)」からの引用。

 ガモフの研究について見ていく前に、元素合成に関するルメートルの考えを思い出しておこう。ルメートルの宇宙は、たった1個の非常に重い原初の原子から始まる。原初の原子は、ほかのすべての原子の母である。「原子世界はバラバラに壊れ、破片はさらに小さな破片になった。話しを簡単にするために、この分割によって破片が二等分されると仮定すると、これ以上壊せない哀れにも小さな今日の原子になるまでには、260回の分割が起こらなければならない。」大きな原子核は不安定だという一般法則からすると、途方もなく重い原子はきわめて不安定だろうから、分裂してより軽い原子になるのは間違いなさそうだ。しかし、分裂した破片はおそらく周期表の中ほどの、軽くも重くもない、もっとも安定な元素が集まるあたりに落ち着くだろう。そうだとしると、鉄などの元素が圧倒的に多い宇宙ができそうなものである。ルメートルのモデルでは、今日の宇宙ほど多量の水素とヘリウムは作れそうになかった。ガモフに言わせれば、ルメートルの考えは明々白々たる大間違いだった。
 ガモフはルメートルのトップダウン式のアプローチをはねつけ、ボトムアップ式のアプローチを採った。もしもこの宇宙が、水素原子だけがすさまじい密度で集まったスープのようなもので始まったとしたらどうだろう?そのスープが外向きに膨張を始めたとしたら?そのときビッグバンは、水素が核融合を起こして、ヘリウムやもっとも重い元素になるために必要な条件を作れただろうか?このアプローチはルメートルのものよりうまくいきそうだった。なぜなら、100パーセント裾だけの状態から出発するほうが、今日の宇宙に含まれる元素の90%は水素だという事実を説明するには都合がいいに決まっているからだ。

 ビッグバンの提唱者の一人であるルメートルが、ビッグバンを提唱したのが1927年である。この頃は、まだ、原子がどういう構造をしているのかが明確になっていなかったと推測される。中性子が発見されたのが1932年であり、太陽では核融合が起きていて、水素がヘリウムに変わっていることが確認されたのは、1940年代である。従って、原子がどのように分割されるかは推定の域を脱しない時期に、ルメートルがビックバン・モデルを提唱したことになる。ビッグバンのもう一人の提唱者であるフリードマンは、ルメートルと違い、宇宙は原初の原子から始まったのではなく、一点から始まったと考えていた。そのとき宇宙全体は、無の状態にまで圧縮されていたとしていたのである。ガモフの発想は、フリードマンに近い発想だと思う。
 ガモフはこの後に起きる宇宙論争のビッグバン側の主要人物となる。この宇宙論を考案した頃は、まだ解明できない課題がたくさん残っていたのだが、その後の多くの物理学者がこの課題を一つずつクリアーしていく。