法って何だろう?

 白田秀彰著「インターネットの法と慣習 かなり奇妙な法学入門 [ソフトバンク新書]」からの引用。

 イギリスでは、議会が作る法律を「statute」、裁判所が長い歴史の中で作り上げてきた判例法を「law」と呼んで区別している。本当の意味での「law」は、人間がこれまでやってきた数多くの失敗をどのように矯正してきたのか、という長い長い歴史の観察に基づいているわけだ。(中略)
 だから、法律を学ぶ人は、法律について学ぶ基礎として、社会や、歴史や、経済や、人間の心理について知らなければならないことになる。そして、そうした知識の体系的集大成として法律を学び解釈しなければならないことになる。実際、アメリカの law school は、四年制の大学を卒業した後に入学する大学院として位置付けられている。(中略)
 過去に学び、未来を見据えて、社会の法則性(law)を探し出し、時代の大きな流れのなかで私たちの幸福を増大するような手当てを考えなければならないのだと思っている。私たちは、時代の流れを読み、風向きを知ることで、初めて目的地に向かう航路を正しく選ぶことができる。この科学的に見つけられた合理的な航路が、すなわち「法律」であるべきだと考えるわけだ。

 英語では、法律を意味する「law」と科学法則を意味する「law」は同じ言葉である。科学の法則は、私たちの都合や希望とはまったくお構いなしにそこに「ある」仕組みだ。理想の法律は、科学の法則と同じように自然とそれに従ってしまうぐらい「自然」で「合理的な」ものでなくてはならない。と著者は言っている。
 自分の意識のなかでは、法律は守るものとしか位置付けられていない期がする。なぜ守らなければいけないかということをあんまり考えたことは無かったと思う。まして、法律とはどんなものなのかとか、どんな法律が理想とされるのだろうかなどと考えたことは全くなかった。
 本ブログは、有識者が書いた本やインターネットの情報を引用し、それにコメントを付ける形式をとっている。なぜ引用を使うのかというと、自分は専門家でも何でもないため、感想ぐらいは書けるが、それ以上のことは、自分の力では伝えられないからだ。生の情報を見てもらった方が、自分でその内容を要約し説明するよりもわかりやすいと思っているからだ。
 こういう形式をとっていると、当然著作権が気になってくる。雑誌や本に掲載しているわけではないので、引用の了承をとっていない。
 インターネットのブログであれば、トラックバックやコメントで掲載したことを伝える手だてがあるが、本ともなるとそうもいかない。いずれ、この著作権問題は何らかの形で考えていかなければと思っていたところに今回引用している本の紹介に出会った。良い機会なので著作権に関して考えてみようと思っている。