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誰にミック・ジャガーを…

覚書

 村上春樹著「走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)」からの引用。

 僕は今、五十代の後半にいる。二十一世紀などというものが実際にやってきて、自分が冗談抜きで五十代を迎えることになるなんて、若いときにはまず考えられなかった。もちろん理論的にはいつか二十一世紀が来るし、(なにごともなければ)そのときに僕が五十代を迎えているというのは自明の理なのだが、若いときの僕にとって五十代の自分の姿を思い浮かべるのは、「死後の世界を具体的に想像してみろ」と言われたのと同じくらい困難なことだった。ミック・ジャガーは若いときに「四十五歳になって『サティスファクション』をまだ歌っているくらいなら、死んだ方がましだ」と豪語した。しかし実際には彼は六十歳を過ぎた今でも『サティスファクション』を歌い続けている。そのことを笑う人々もいる。しかし僕には笑えない。若き日のミック・ジャガーには四十五歳になった自分の姿を想像することができなかったのだ。若き日の僕にもそんなことは想像できなかった。ボクにミック・ジャガーを笑えるだろうか? 笑えない。僕はたまたま、若くて高名なロック・シンガーではなかった。僕がどんなに愚かしいことを言ったとしても、誰も覚えていないし、したがって引用されることもない。ただそれだけのことではないか。

 そう、僕も50歳の自分を若い頃に想像することはできなかった。子どもの頃、大人になった自分が想像できなかったように、老いていく自分の姿を想像することは難しい。だって、だれもが初めて経験することだからだ。だから、僕もミック・ジャガーを笑えない。
 二十一世紀を迎えるころには、40歳を超えていることを子どもの頃考えたことがあった。そのとき僕は、「そんな先のことは、想像できない。」と思った。今を考えるだけで精一杯だと。ミック・ジャガーもそういう意味を込めてこの発言をしたのじゃないだろうか。「こんなに忙しい生活を送っているのに、そんな先のことを考えること自体がばかばかしい」と。