何もない世界

 角田光代著「恋するように旅をして (講談社文庫)」からの引用。

 町をすぎて、両側に建物はみられなくなり、背の低い木々や濃い緑の生い茂った畑を左右に眺めてしばらくすると、いきなり何もなくなる。空の下に、ただ大地が広がっている。いぼみたいに石ころが散らばり、ところどころ黒いビニール袋が落ちているが、そのほかは何もない。何にも遮らず彼方の彼方まで平たい、茶色い大地が広がり、遠くの一点で空と交わっている。
《略》
  バスは山道を登りはじめる。対向車がそれ違うのがやっとの細い道路をハイスピードで走り、さっきまで私が見ていた平たい空間は、あっというまに眼下に広がる。バスは巨大な山の中を走る。乗りこんだときと同じに、窓に額をはりつけたままの私はすでに、山だとか、道だとか空だとか、そうした言葉を失い、だらしなく口を開いてそこにある世界を見入っている。
 目のまえに展開されている場所に、私の知っているいかなる言葉も当てはまらない。岩と土の果てしなく盛り上がったなかに、壁のような線が続き、眼下にはただの茶色い布地みたいな平地が広がっている。生命の存在しないと言われる惑星に降り立った最初のだれかは、きっと私みたいにただ口を開いて言葉を失ったんじゃないかと思う。そうして、言葉を失ったそのために、自分がまる裸にされてそこにいる感覚を味わうんじゃないか。
 空と巨大な目玉−トロッコにて

 こんな景色も世界にはあるんだろうなぁ。いや、本当はこういう景色の方が多いはずだ。だって、地球も惑星だから。
 逆に、今僕らが暮らしている環境がいかに特殊なのかを改めて知らされた思いがする。無機物だけの世界、生命の存在しないと言われる惑星の空はどんな色をしているのだろう。そして、土の色は茶色に見えるのだろうか?