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時間という縦軸

 角田光代著「恋するように旅をして (講談社文庫)」からの引用。

 スリランカの、遺跡や寺院がごろごろ残っている観光名所、アヌラーダプラの町を夕方、一人で歩いていた。日暮れどき、緑に覆われた旧市街地は、記憶の底からゆっくりと浮かび上がってくるみたいに、ひそやかにゆるやかに金色に染めあげられる。まっすぐ伸びる赤土の道を歩いていると、自分が向かう先が、まるで空間という横軸ではなく、時間という縦軸で、過去に逆行しているように思えてくる。緑の垣根の向こうから、洗濯ものをとりこむ母親の姿が見え、子供たちが走りまわって遊んでいる。道端に伸びた木の影で犬が腹を見せて眠りこんでいる。
 路線を渡って新市街に入ると、ゆっくり時間は今へと戻ってくる。バスやバイクが行き交い、買い物かごから野菜をはみ出させた女たちがすれ違い、少年たちが遊び場を捜しに連れ立って歩いている。
(「あんたこんなとこで何しているの?」冒頭部分)

 読んでいると、あまり気にならないが、パソコンで打ち込んでみると、「、」が非常に多い文章だと気づく。何となく自分の文章と近いような気がするが、質と構成が全く違う。文章を読むとき、この区切りというのは非常に重要だと思う。テンポを刻みながら文章を追うことができるからだ。五七五ではないけれど、韻を踏みながら文章を読むと読みやすい。
 さて、この文章、旧市街地と新市街との時間の流れのギャップを表現した文章になっているのだが、空間を横軸、時間を縦軸と表現している。読んでいて、うまい表現方法だなあと思いつつも、何か違和感があるなと感じた。普通、時間軸はどちらかというと横方向にとられることが多いと思うからだ。理系のグラフであっても、年表であっても時間を横軸におくことの方が多いように思えるのだ。
 筆者が、「まっすぐ伸びる赤土の道を歩いている」という表現があることから、歩いている方向つまり道方向が遠近法で縦方向に伸びているから、時間軸を縦方向と表現したのだろうか?そう考えれば、時間軸を縦方向と表現した方が、スムーズにイメージできる。これも、現地で撮った写真を見て、文章をふくらませた結果なのだろうか。