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ミシン

覚書

岸本佐知子著「ねにもつタイプ」(筑摩書房)からの引用。

 子供の頃、家にある調度品の中でひそかに尊敬し、憧れていたのはミシンだった。
 コブラン織り風のカバーをかけられて部屋の隅に置いてあるそれは、一見普通のデスクのように見える。
 付属の椅子に腰をおろして、両手を組み合わせてみる。ちょっと重要人物になった気分だ。次に、おもむろにカバーを取りのける。チョコレート色の、つややかな、木と鉄でできた物体が姿を現す。でもまだまだそれはデスクのようで、何か特別な性能を秘めたマシンであるとは、にわかに想像できない。
 ゆっくりと、上部の板を持ち上げて横に開く。するとそこにはくり抜かれたような穴があいていて、中には灰色の金属でできた機関の本体が、横向きにすっぽりと格納されている。
 頭の中に「サンダーバード」の発信のテーマソングを聴きながら、ずっしりと重いその本体をつかんで引き上げていくと、それはゆっくり回転しながら地上に姿を現す。

 確か、うちにもメーカーこそ違うが、同じようなミシンがあった気がする。普段は、ディスクのように見える部分に物を載せて、しまってある。使用するときだけ、上に載せた物をどけて使う。昔の家は狭かったので使えるスペースは有効に活用していた。
 サンダーバード2号が発信する姿を想像していたかは定かではないが、まさしくそんなイメージだった。
 大人になって、就職した先に足踏みミシンがまだ現役で活躍していた。もちろん工場で使用するミシンはすべて電動に変わっていたが、なぜか研究所で使用されていたのは旧態依然の足踏みミシンだった。
 当然、足踏みミシンでミシンを覚えた。足踏みミシンの場合、足でリズムをつくって縫っていく。一定のリズムをペダルで刻まないと、綺麗に速く縫うことができない。刻むリズムがすべてといってもいい。当然のごとく、正確にリズムを刻めないとテンポがとれず、綺麗に縫えないということになる。従って、リズムを刻むペダルのない電動ミシンは未だに使えない。だって、リズムは足でとるもの、だからだ。