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おおよその見当

 岸本佐知子著「気になる部分 (白水uブックス)」(白水社)からの引用。

 ”おおよその見当”というものがつけられない。料理のレシピで”適量”とか”あとは適当に味をみながら”などと書いてあると、もうそれだけでパニックになる。どれくらいが”適量”なのかが、まるでわからないからだ。「ここから二百メートルほど先を右」などと言われると。茫然とするしかない。なぜ二百メートルなどという、自分の身長の百倍以上もあるような距離が実感としてわかるのか。私に体感できる距離は二十五メートルまでで、それはお察しのとおり、小学校のプールの長さである。そこでまず小学校のプールの大きさを記憶の中から呼び出し(それと一緒に、思い出さなくてもいい塩素の匂いや、紫色の唇や、進級検定のときのドキドキまで蘇らせつつ)、それを目測で道路の上に一つ、二つ、三つ・・・・・・と並べていくのだが、五つあたりでもう目がわからなくなる。人はいったいどうやって”だいたいこんなものであろう”という判断をつけるのだろう。その感覚は絶対音感のように、持っていない者が習得しようとしても無駄なのではあるまいか。

 この間、ラジオで言っていたのが、料理でいう”ひとつまみ”と”ひとつかみ”の違い。”ひとつまみ”は、”少々”とも記載され、親指と人差し指の2本でつまむ量を言うそうだ。また”ひとつかみ”は、親指と人差し指、そして中指の3本でつかむ量ということだった。当然3本の指でつかむ、”ひとつかみ”の方が量的には多くなる。
 二百メートルを想像するのに、身長の百倍以上とか、小学校のプール8つ分などと想像する人が本当にいるのだろうか(確かにここにいるのだが・・・)?自分も水泳をやっていたので、二十五メートルプールはなじみ深いが、残念ながら距離を測る道具として使用したことはない。ただ、泳ぐ際、プールに印された距離を示す白線を目印に距離を把握することは多かった。また、二十五メートル中で何回、手をかくかを覚えていて、その回数でペース配分を計算して調子を整えていたこともあった。
 このように、ある距離を歩数(水泳の場合はかく数)で判断することが多い。ゴルフの残り距離も歩数掛ける歩幅で距離を換算し、コース距離から引いて計算している。逆に、とっさに感覚で距離を判断できる人はかなり少ないような気がする。