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噂のみが情報だった時代

覚書

三浦しをんの「極め道」というエッセイを読んでいたら、こんな記述があった。

天然コケッコー」(くらもちふさこ・集英社)を読む。以前漫画喫茶で少し読んだのだが、古本屋に既刊分が入荷していたので購入。これがすごくいい話なんだわ。綺麗な川と海がある小さな村の、中学生(今は高校生になっている)そよちゃんの話。
村は過疎化が進んでいるらしく、小学校と中学校を合わせても6人しか子供たちがいない。そこに東京からの転校生・大沢君がやってきて・・・・・。この漫画を読むと、たぶん誰でも小学校や中学校の時に好きだった男の子のことを思い出すのでは?私も、どんなにドキドキしたか、どれだけ小さなことで脅えたり楽しんだりしたか、噂のみが情報だったか、思い出す。

そうだ、言われてみれば子供の頃の情報源は、すべて噂だった。経験や知識がほとんどない子供たちにとって、自分の経験や学んだことがベースとなった会話はほとんど皆無だったような気がする。
「誰々さんが、こう言っていた。」とか、「どうもこういうことらしい。」など他人の意見を代弁するかたちで会話が成り立っていた。
でも、これって大人になっても同じように使っていることが多いのではないだろうか。血液型占いやマイナスイオ、有機肥料栽培の安全性などに関しても噂が情報源になって信じている人が多いと思う。最近では、テレビのアナウンサーまでもが安易に使用してしまうこれらの言葉。元を辿れば噂の域を脱していない情報だったりする。
懐かしいと思いながらも、成長していない自分がそこにいるような気恥ずかしい気持ちがよみがえってくる。