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外車は、ステイタスシンボルと言えるか?

覚書

今日のニュースを見ると、「BMW、純利益9割減 前期、高級車不振が直撃」(日経)とある。
日本車に限らず、欧州の高級車も不況の影響を受けていることを物語っている。
ところが、同じ記事に、フォルクスワーゲンが最終利益を15.4%増しているとも書かれている。
自動車会社による明暗が分かれていると評されているのだが、一概に会社の努力の差だけとは思えない。
フォルクスワーゲンは大衆車が中心であるのに対して、他の会社は高級車が主力製品であるという違いがあるためだ。
さて、最近日本国内においても外車の台数が、以前に比べて増えているように思える。
統計的に調べたわけではないのだが、明らかに外車が増えているように感じるのだ。
特に、この記事で取り上げられているフォルクスワーゲンの車の増加が顕著だと思う。
町中にもフォルクスワーゲンの販売店が目立つようになっているし、普段走っているときに、すれ違うフォルクスワーゲンの数も多くなっているように思える。
とうもフォルクスワーゲンは欧州の大衆車から世界の大衆車に変わりつつあるような気がする。
ポルシェが、フォルクスワーゲンを買収すると発表して2年ほど経つが、かなりの勢いで、フォルクスワーゲンが世界シェアをとりつつあるのではないだろうか。
こうなってくると、フォルクスワーゲンに乗っているということは、世界の大衆車に乗っているということになり、ある意味で画一化の方向に向いているような気がしないでもない。
つまり、外車であるフォルクスワーゲンを乗ることが、ステイタスシンボルにはならない時代がやってきたということだ。
「いつかはクラウン」という文句が、昭和の時代ではヒットした。そのころ子供だった自分の心にこのフレーズは焼き付き、同時に車へのあこがれにもなっていった。
大学の頃になると、世界ラリーで活躍するアウディプジョーがあこがれとなったが、このころにもうステイタスシンボルとしての外車へのあこがれはなかったような気がする。趣味的なあこがれからこれらの外車が欲しいと思っていたに過ぎない。
現在でも、ステイタスシンボルとして位置づけられる車はもちろん存在するが、外車すべてがステイタスシンボルにはならない時代がやってきたと思う。