心地の良い文体

 今、三浦しをんの「まほろ駅前多田便利軒」を読んでいる。いや、恐らく今日中には読み終えている。第135回直木賞受賞作。今年1月に文庫本が出て、その初版が本屋に並んでいた。
 実は、三浦しをんの本は、エッセイ「人生激場」に続いて2冊目で、この他小説1冊、エッセイ1冊の買い置きがある。
 小説家の文章を読むのは、エッセイを含め、久しぶりだ。確か去年、小川洋子の「博士の愛した数式」を読んで以来だと思う。小川さんの場合、小説を読んでから、それにまつわるエッセイを2冊ほど読んだ記憶がある。
 「人生激場」を読んで、久々に笑い転げてしまったことと、直木賞受賞作ということもあって、そく購入した。
 この勢いだと、池波正太郎宮部みゆき浅田次郎のときと同じようになりそうだ。宮部みゆき浅田次郎もその時点で、出版されていた作品を一度にほとんど読み尽くした経験がある。いわゆる作家に、はまった状態だ。今回の三浦さんもしかりといった雰囲気が漂っている。
 さて、どうしたらそうゆう雰囲気に入ってしまうのかというと、恐らく、作家の文体と本を黙読するスピードやリズムが非常にあったときのような気がする。
 実は、同時並行で角田光代さんのエッセイも読んでいたのだが、こちらはここまでのはまり方をしていない。文章の構成は、角田さんの方がきれいでうまいと思うのだが、なんだかリズムに乗り切れていないような気がするのである。
 三浦さんを知ったのは、トーキング・ウィズ・松尾堂だった。テーマは、走ることだったような気がする。箱根駅伝を題材にした作品を書かれたため、ゲスト出演されていた。ラジオの中で、三浦さんは、「走るという行為は、他のスポーツと違って、誰もが一度は経験をしたことのあるスポーツ。だから、他のスポーツと違って勝つためには何が必要なのかを考えられた。」とおっしゃっていた。
 その本も今本屋さんの店頭に並んでいる。