緑のダム

 今日は、朝から霧が霧がたちこめている。朝霧を意識したのは、今年になって2度目。また、東武線が遅れているなと思ったが、今日は定刻通りに動いていた。春、霧がたちこめると「気温が高くなりそうだ。」と思うのは自分だけだろうか。そう思って天気予報を見ると、今日は18度まで上がるという予想。コートは部屋に置いていくことにした。
 さて、展示会の準備や後始末で、約2ヶ月ほどブログをお休みしてしまった。これからは、毎日とはいかないと思うが、随時更新していくつもりでいる。
 ブログを疎かにしていたのと同様、他のブログチェックも遠ざかっていた。昨日、いつもチェックしているブログのいくつかを除いたら、今後のネタになりそうな話しがいくつか見つかった。
 今日はその内の一つ。中西準子さんの雑感の記事からピックアップ。植林と水収支とう高見邦夫さんの文章が掲載されている。
 その中で、緑のダムというのは神話に等しいという話しがある。森林が水を蓄えるという意味で、緑のダムとよく形容されるのだが、どうもこれは神話に過ぎないらしい。木が蓄える水は、もちろん地面から吸い上げるのだが、降雨量よりも木が必要とする水の方が多く、葉などから外気に発散される水分量の方が上まわるケースがほとんどらしい。特に背の高い木になると成長に伴い、必要とする水の量も増えることから、場所によっては土地が枯れてしまうケースも多々あるらしい。砂漠の緑化に木を植えるというのは愚の骨頂でしかないらしいのである。詳しくは、雑感を読んで欲しい。
 こうした勘違いは実に多い。「確かなものをより安く」というキャッチフレーズは、企業では当たり前のように使われているが、確かなものを求めるとコストは逆に上がるはずだ。従って「確かなものはコストがかかる」もしくは「安いものはそれだけリスクを負担してもらいたい」という表現の方が正しいことを、中国餃子の事件が物語っている。