物の流れ

 昨日、東京海洋大学の苦瀬教授の講演を聞いてきた。物が移動する道沿いに町ができる。江戸時代、主な輸送経路は、海であり、川であった。そしてその海辺や河岸に町ができていった。人が主ではなく、物が主だった。江戸時代の廻船航路には、東回りと西回りがあり、船が立ち寄る場所に、船着き場ができ、倉が建った。また、船が安全に航海できるように灯台も設備されていたそうだ。また、江戸時代の絵図をみると、川の畔に町ができていることがわかる。ものをいかに流通させるかが、国の安定化や町の発展の鍵となっていて、それを管理運営するのが、城主の役割のいとつだった。
 明治に入って、船から鉄道へと主役が移る。しかし、船が走る川と鉄道路線をうまく繋げる工夫がなされていたという。戦後、高度成長期以降、主力は、鉄道からトラックなどの車に移る。ここで、物を主体とした道路整備がなされなかったことが、現在の交通状態などの不具合の原因だと先生は見ているようだった。つまり、自動車道路を整備する際に、人の流れを中心とした道路整備が行われ、町を形成するときも人中心で物の流れをあまり意識しないで、都市が形成されていったということらしい。
 現在行われている東京駅周辺の再都市計画では、ビルの地下に物を運び入れるための道路が整備されているとのこと。完成後は、ある場所からトラックが入って有楽町の先でトラックが出てくるといったことが行われる予定になっているらしい。
 昔の裕福な家には、必ず玄関と勝手口があったという。玄関は人の出入りに使用され、勝手口からは物が出入りする。このように、物を取り込む場所があった。ところが、現在の建物には、これがないものが多いという。その為、スムーズな物の流れができていない。
 また、川や鉄道の場合、その道筋が線で表されるが、自動車の場合その動きが面で動ける特徴があり、自動車の方が自由度があるため、逆にスムーズな輸送ができていない面もあるとの指摘があった。
 物の流れを意識しない町づくりをしているのは、日本だけで、韓国や中国、そしてインドなどでは、きちんと物の流れを考慮して町づくりが行われているらしい。小泉首相が新幹線をインドに売り込んだとき、インドは、「新幹線はいらない。貨物列車がほしい」と言ったそうだ。
 平成9年に、政府が総合物流施策大網を発表したときは、先生も驚かれたそうだ。最初は、疑心案気だったが、3度目の大網で、ようやく、本腰なのだとわかったそうだ。
 発想が人中心から物中心にほんとうに変えられるのか、今後の国の対応を見ていく必要があるかもしれない。