ファミリークリスマス

 小川洋子著「物語の役割 (ちくまプリマー新書)」からの引用。この本の中で、アメリカの作家、ポール・オースターが編者になっている「ナショナル・ストーリー・プロジェクト」という本が紹介されている。この本は、ラジオでオースター氏が一般リスナーに物語の投稿を呼びかけ、そこに集まったものをまとめたものだそうだ。投稿の条件は、事実であることと番組のなかで読めるぐらいの短いもののふたつ。こうして集まった作品の中にすばらしいものがいくつもあり、それをまとめられている。小川さんは、この本の中に載っている二つの物語を紹介している。その中で、自分も気に入った話しをここに引用しようと思う。

「ファミリークリスマス」


(これは父から聞いた話だ。1920年代前半、私が生まれる前にシアトルであった出来事である。父は男6人、女1人の7人きょうだいの一番上で、きょうだいのうち何人かはすでに家を出ていた。)


 家計は深刻な打撃を受けていた。父親の商売は破綻し、求職はほとんどゼロ、国中が不況だった。その年のクリスマス、わが家にツリーはあったがプレゼントはなかった。そんな余裕はとうていなかったのだ。クリスマスイブの晩、私たちはみんな落ち込んだ気分で寝床に入った。
 信じられないことに、クリスマスの朝に起きてみると、ツリーの下にはプレゼントの山が積まれていた。朝ご飯のあいだ、私たちは何かと自分を抑えようとしつつ、記録的なスピードで食事を終えた。
 それから、浮かれ騒ぎがはじまった。まず母が行った。期待に目を輝かせて取り囲む私たちの前で包みを開けると、それは何ヶ月か前に母が「なくした」古いショールだった。父は柄の壊れた古い斧をもらった。妹には前に履いていた古いスリッパ。弟の1人にはつぎの当たった皺くちゃのズボン。私は帽子だった(11月に食堂に忘れてきたと思っていた帽子である)。
 そうした古い、捨てられた品一つひとつが、私たちにはまったくの驚きだった。そのうちに、みんなあんまりゲラゲラ笑うものだから、次の包みの紐をほどくこともろくにできない有様だった。でもいったいどこから来たのか、これら気前よき贈り物は? それは弟のモリスの仕業だった。何ヶ月ものあいだ、なくなっても騒がれそうもない品をモリスはこつこつ隠していたのだ。そしてクリスマスイブに、みんなが寝てからプレゼントをこっそり包んで、ツリーの下に置いたのである。
 この年のクリスマスを、わが家の最良のクリスマスのひとつとして私は記憶している。


ドン・グレーヴズ
アラスカ州アンカレッジ

 こうした心に残るはなしというものは、だれにもひとつやふたつあるものだ。