友愛数から小説が生まれた

 小川洋子著「物語の役割 (ちくまプリマー新書)」からの引用。小川さんは、「博士の愛した数式 (新潮文庫)」を書くにあたって、伝記や数学に関する物語を手当たり次第に読んだと書かれています。そこに書かれているものは、実際にあったことであるにもかかわらず、どれもがドラマスティックで詩的なエピソードに感じられたといっています。その中で最も典型的な例が友愛数だそうです。

 友愛数は、一方の約数の和が、他方の数の約数の和になる(その数自身は除く)、というペアの数です。最初にそのペアを発見したのはピタゴラスですから、ずいぶん昔の話しですが、その最初のペアが、220と284だったのです。
220:1+2+4+5+10+11+20+22+44+55+110=284
284:1+2+4+71+142=220
 つまり、220と284は、それぞれの約数を足すとそれぞれ相手になる。こういうちょっと特殊な関係で結ばれた数を、友愛数というのだそうです。ピタゴラスはこの一組しか発見できなかったのですが、後にフェルマーの定理で有名なフェルマーが、もう一組発見します。その後、デカルトオイラーなども発見し、また、イタリア人の16歳の少年が偶然発見したりというように、いろいろなドラマがあったようです。
 「友愛」というのは、あまり日常生活で使う言葉ではないのですが、いい言葉だと私は思いました。それがまして数学の中に登場することに心引かれて、この友愛数をながめているうちに、数学者と家政婦さんの、それまでおぼろげだった人物像が少しずつ具体的に自分のなかで形作られていきました。
 220は、2月20日ということにして家政婦さんの誕生日にしよう。284は、その数学者が論文を書いて賞をもらったときの記念品の腕時計に刻まれている番号にしよう。そして、その数学者が食卓の上で、新聞広告の裏か何かに鉛筆で一生懸命それらの数字を書いて、「君の誕生日と僕の腕時計に刻まれている文字は、友愛の契りを結んだ特別な数なんだよ」と、家政婦さんに教える場面が浮かんできたのです。
 そうすると、もう自然にその人物の声の感じとか立ち居振る舞いとか、二人の関係が見えてくるわけです。そこから一気に、物語の向かう方向が明らかになって、小説自体が動き出していきました。

 小川さんは、独自の発想で小説を書いているわけではないといっている。もし、独自の発想をもとに小説を書いたとしたら、スケールの小さなものになってしまう。何よりも、自分が書いていて面白くないものになってしまうともいっている。自分が予想もつかない展開がそこに文字として現れるからこそおもしろいのだ、と。物語のもとになるものは、そこら中に落ちていて、それに気づくかどうかが勝負だという。「博士の愛した数式 (新潮文庫)」の場合、まずは、数学者の意外な性格、そして数学の伝記からみつけた友愛数がその骨格を築いていったらしい。
 この「物語の役割 (ちくまプリマー新書)」を読んでいて、ブログを書く上で参考になる部分がたくさんあることに気づかされる。何日か前に、ネタ切れだと言い訳がましいブログを書いたが、発想を変えるといくらでもネタはころがっているのだ。本からの引用、それも少しおもしろいものを紹介する。これが、最初にブログを書き出したときのテーマだった。今でもそれを継続しているのだが、それにこだわる必要ないとこの本は教えてくれる。
 一つのヒントが、「人は、現実をそのままに受け入れるのではなく、自分に都合がよいように内容を変えて記憶する。」ということだ。そうであるなら、「自分のエピソードや自分が見てきたことをフィクションとして書いても面白いのではないか」と考えはじめている。それが、どういう形で表せるのかは、まだアイデアが浮かんできていないが・・・。