物語の役割

 同題の新書を小川洋子さんが出されている。その中で、次のような文面がある。

 たとえば、非常に受け入れがたい困難な現実にぶつかったとき、人間はほとんど無意識のうちに自分の心の形に合うようにその現実をいろいろ変形させ、どうにかしてその現実を受け入れようとする。もうそこで一つの物語を作っているわけです。
 あるいは現実を記憶していくときでも、ありのままに記憶するわけでは決してなく、やはり自分にとって嬉しいことはうんと膨らませて、悲しいことはうんと小さくしてというふうに、自分の記憶の形に似合うようなものに変えて、現実を物語にして自分のなかに積み重ねていく。そういう意味でいえば、誰でも生きている限りは物語を必要としており、物語に助けられながら、どうにか現実との折り合いをつけているのです。

 この文章は、筑摩書房の本の紹介にある「立ち読みできます」で参照できる。「人間は起こった事実をそのまま受け入れることができない」という意味だろう。なにかしら、そこに理由付けをして記憶に留めておく。実はそうしないと長く記憶に留めておけないのかもしれない。数字を記憶する場合、そのまま数字を読んでもまず覚えられない。人間が記憶できる数字の長さは、電話番号ぐらいが限度だといわれている。確か単純に何かを覚えるという記憶を短期記憶といったような気がする。通常、8時間以内ぐらいに繰り返し覚えないとそのうち忘れてしまうような記憶だったと思う。
 これに対して、長い期間記憶させるためには、そこにイメージを結びつける必要があるようだ。それが、「人間は起こった事実をそのまま受け入れられない」につながっているような気がする。
 だとすると、できるだけ自分に都合のいいように覚える方が特というものである。それが、小川さんが言っている「物語」につながっていく。ただ、凡人である自分などは、記憶するとき、なかなか想像豊かな物語と結びつけることができない。従って、すぐに忘れてしまうことになる。
 小川さんは、「作家も現実のなかにすでにあるけれども、言葉にされないために気づかれないでいる物語を見つけ出し、鉱石を掘り起こすようにスコップで一所懸命掘り出して、それに言葉を与えるのです。」と書いている。まさに、これが作家の仕事なのだろう。