「博士の愛した数式」が描いている年

 小川洋子著「博士の愛した数式」を読み終えてしまった。久しぶりに読んだ小説だったが、非常に面白かった。小川洋子氏の小説を読むのはこれが初めて。小説の構成のうまさには脱帽した。小説を読んでいると、残りのページ数が気になるときがある。読むのがうんざりでそう思うのではない。逆に「後もう少しで終わってしまう。」という感慨みたいなものがわき上がってくる。こういう小説にはめったに出会わないものである。しかし、この作品を読んでいて、この感情がつきまとった。非常に幸せな気分にしてくれた。
 この小説では、家政婦である主人公のわたしと博士、そしてわたしの息子ルート(ルートという名前は博士が付けたあだ名だが、小説の中ではいっさい本名は出てこない)の物語が展開されていく。そこに、1992年の阪神タイガースが合わせて描かれている。この年、阪神タイガースは優勝を逃し、ヤクルトスワローズに続いて2位で終わる。
 ルートは、熱狂的な阪神ファンという設定になっていて、ラジオから聞こえてくる試合経過が節々に描かれている。博士はというと、野球を一度も見たことがないにもかかわらず、江夏のファンという設定になっている。博士の場合、新聞記事のデータを拾い集め、頭の中で野球というものを築き上げている。それは、野球のルールだったり、選手の成績だったり、二塁打が出る確立だったりする。この二人の阪神ファンの設定も見事としかいいようがない。
 数学の歴史に関しても、くどくならない方法で、要所要所にちりばめられている。ただ、家政婦のわたしが、フェルマーの最終定理の存在を知っているという設定は少し無理があったかもしれない。参考図書にサイモン・シンの「フェルマーの最終定理」があげられている。この本は、アンドリュー・ワイルズフェルマーの最終定理を解くまでの数学史を描いた本で、ベストセラーとなっているから、ある程度の人は読んでいるだろうと思ったのかもしれないが、この本が書かれたのは、1992年よりは後である。そもそも、フェルマーの最終定理が証明されたのは1995年なので。
 数学と阪神タイガースという組合せはどこから生まれたのだろうが、江夏に関しては、参考図書があげられているが、阪神タイガースに対してはあげられていない。また、1992年というシーズンは、ファンにとって、ここ数十年の阪神タイガースの歴史上、一番やきもきさせられた年でもある。そう考えると、著者が阪神タイガースに精通していたのではないかと思われてくる。1992年に時代背景を設定した理由は、著者が阪神ファンだったからだと思うのだが、こればかりは聞かないとわからない。