静寂のはなれ

 「博士の愛した数式 (新潮文庫)」の続き。家政婦のわたしと息子のルートは、80分しか記憶が維持できない博士を阪神タイガース戦に連れ出すことに成功する。博士の記憶は、交通事故で記憶を失う前のままだから、当然阪神タイガースの選手もその時代の選手で留まっている。
 博士が「江夏には会えるかね」と質問する。ルートが「残念だけど、江夏はおととい甲子園で巨人戦に先発したから、今日の試合にはベンチ入りしていないんだ。ごめんね」と返答する。ルートとわたしは、以前に江夏が引退したことを博士につげ、博士を混乱させたことがある。その反省から、江夏が引退したことを博士に告げることを絶対しないことにしていた。
 こうして、阪神タイガース戦をぶじ観戦するのだが、その疲れから、博士が高熱を出してしまう。わたしは、一晩泊まりがけで、博士を看病することを決める。
 これが行けなかった。泊まり込んだことが博士の義姉の未亡人にばれ、わたしは、家政婦を首になってしまう。
 実は、博士は、未亡人が住む本宅ではなく、別宅のはなれに住んでいた。はなれは、テレビもなく、壊れたラジオがあるだけだった。ルートが博士からの宿題をやることを引き替えに壊れたラジオを修理することをねだり、唯一野球中継だけがそのラジオから聞こえてくるようになった。こうした静寂な環境のせいもあったせいか、首になったあとも、わたしにとって数字はある種の特別な存在になっていった。
 数字があるとそれが素数かどうか調べずにはいられなくなる。新しい雇い主のもとで、掃除をしている最中も、冷蔵庫の製造番号2311を見つけそれが素数かどうかを確かめてしまう。また、机の下に落ちていた青色申告のナンバー341も素数かどうかを確かめる。しかし、この数字は素数でなかった。わたしにとってその数字が素数であるかどうかはどうでも良かった。それを調べることに魅力を感じていたのだ。
 こうして、何かに夢中になれるというのはすばらしいことだと思う。現代の世の中では、たくさんの情報が嫌でも耳に入ってくる。こうしたはなれという環境が夢中になれるものをわたしに与えたのかもしれない。もちろん、そこに博士がいなければそれもなかったのだが、こうした静寂な設定があるからこそ、わたしが数字にのめり込んでいく姿が違和感なく受け入れられるような気がする。