夏休みの宿題

 apjさんのブログで、夏休みの宿題を代行する記事が掲載されていた。教育的議論は先生方にお願いするとして、自分の子どもの頃の夏休みに対するイメージを書いてみたい。
 夏休みといえば、長いというのがイメージとしてあった。私が小学生だった昭和40年代前半は、今のようにインターネットやテレビゲームなどが氾濫している時代と違い、遊びといえば、缶けりや竹馬、そしてメンコやビー玉など外でやるものが主流だった。もっともその頃から人生ゲームなどの部屋で遊ぶゲームは存在していたのだけれど、遊ぶといえば、もっぱら外でするイメージが強かった。
 当然外で遊ぶ場合、友達がいなければつまらない。しかし、40日近くある夏休みに毎日遊ぼうとしても、友達が旅行に行ってしまったりして、1人になる日が結構あったような気がする。そんなときに思うのが、「夏休みはながいなあ。早く学校に行きたい。」である。
 けっして、勉強がしたくなっていきたいのはではない。ただ、友達と遊びたかっただけだった。
 夏休みの宿題でイメージとして残っているのは、やはり日記だろう。当時日記は毎日つけるものと学校で教わり、日記を前にして30分間ぐらい動けなかった自分が思い出される。今にしてみれば、書く内容がなければ、そのとおり書けば良かったと思うのだが、あの頃は、日記自体がプレッシャーになっていた。さすがに、日記の代行はないのではないかと思う。
 あとは、自由研究。しかし、自由研究は逆に楽しかった思い出の方が多い。なぜなら、ものを親にねだれたから。天体観測をするといって望遠鏡を買ってもらった。子供用の望遠鏡では、月ぐらいしかはっきり見ることはできなかったが、それでも月にクレーターがあるのがはっきり見えて興奮した覚えがある。
 今思い返してみると、夏休みとは、膨大に余った時間をどうやってつぶすかをひたすら考える日々だったように思える。歳をとって40代になると時間の流れは速くしか感じられないが、あの頃は、時間が止まっていたようにも感じた。
 自分で行動計画をたてるというのが、夏休みの最大の宿題だった気がする。