なぜ、地球が止まっていて、天体が動いているように見えるのか?

 リチャード・ドーキンス神は妄想である―宗教との決別」からの引用。

 私たちが進化した限られた世界では、小さな物体のほうが大きな物体よりも動いている可能性が大きく、大きいほうは動く際の背景と見られる。世界が回転するにつれて、近くにあるために大きく見える物体(山、樹木、建物、そして地面そのもの)は、太陽や恒星のような天体との比較で、お互いにまったく同調して、観察者とも同調して動く。私たちの進化によって生じた脳は、前景にある山や樹木よりも、そうした天体のほうが動いているという幻影をつくりだすのである。

 人間は、普通の場合、距離感を無視してものの大小を見てしまうのかもしれない。太陽や天体までの距離を古代の人は知らなかったろうし、想像もできなかったと思う。距離感がつかめない物と距離はわかっている物との比較は当然難しい。
 人間の視野は、確か180度を少し超えた範囲だと記憶している。同じ方向にある物を見るときは、当然目の焦点を絞ってその物を見ることになる。そして、何に焦点を絞るかによって物体の動きを観察することになる。山や樹木を固定してみれば、時間の経過とともに太陽が動いて見える。逆に太陽を固定してみると山や樹木が動いて見えてくる。しかし、大概の場合、近くて大きなものが焦点を固定する対象となるだろう。従って、山や樹は動かず、太陽が動いて見えることになるのだろう。まして、地面が動いているなど想像もつかない。慣性の法則により、我々は地球が動いていることを感じることができないのだ。