第二の例(ブラウン運動、拡散)

E.シュレーディンガー著「生命とは何か―物理的にみた生細胞 (岩波新書 青版)」からの要約。

 いま仮に、閉じたガラスの容器に微小な液滴から成る霧をみたしたとすると、やがて霧の上側の境界が一定の速度でだんだん下へ下がってくることがわかる。その速度は空気の粘性と液滴の大きさと比重とによって定まる。しかし、もし多くの液滴の中のどれか一つを顕微鏡でみるならば、その液滴は常に一定の速度で沈降するのではなく、非常に不規則な運動をしている。これがいわゆるブラウン運動というもので、平均してはじめて規則正しい沈降となって現れるのである。
 これらの液滴は原子そのものではない。しかし、十分に小さくて軽いので、その表面に絶えず衝突して打撃を与える多くの分子の個々の衝撃をまったく感じないわけではない。したがって、それらはあちこちとごづきまわされて平均してのみ重力の影響に従って、落下するのである。
 バクテリアやその他の生物で、はなはだ小さくてこのブラウン運動の影響をひどく受けるものがある。このような生物の運動は周囲にある媒質の気まぐれな熱運動によって決定され、特定の運動を選ぶことができない。荒海にただよう小舟のように、熱運動によって揺り動かされるからだ。
 純然たる偶然性を基礎としているのだから、その法則は近似的にしか妥当性をもたない。もし、非常によい近似であるならば、それは単にその現象に参与している分子の数が莫大に多いからであるに過ぎない。その数が少なければ少ないほど、まったく偶然的に起こる法則からのずれは、ますます大きくなると予期しなければならない。そして、このずれは都合のよい条件下では観測することができる。

 微小な液滴とは、霧吹きなどでつくった水滴や水蒸気のようなものを創造すればいい。これらの水滴や水蒸気は非常に細かな粒になっていて、それが、ミクロブラウン運動という予想しがたいランダムな動きをしている。もちろん、この水滴や水蒸気は水分子1個ではない。おそらく相当数の分子が含まれているだろう。しかし、ある一定の大きさより小さくなった場合、分子の振るまいが分子集団の動きに影響してくる現象はミクロブラウン運動以外にも見られる。その例は、明日引用するが、ここで、重要なのが、分子の振るまいが影響する大きさになってくると秩序性が掛けているように見えてくることである。逆の言い方をすると、ある一定の大きさ以上の物質でないと物理法則などの統計的な動きを観察できないということになる。
 また、シュレーディンガーは物理法則をあくまでも近似的なものと言っている。微積分を多用した物理法則の方程式は、まさしく近似そのものである。微積分自体、極限値を求める方法だからである。
 最近、ナノテクが注目を集めているが、ある意味で分子1個の影響が現れる世界での技術開発になっている。先日聞いた講演では、数百ナノレベルになると水は水飴のような粘りをもっていると言っていた。我々が知っている非常に大きな集団である水の動きと数百ナノレベルの水では振る舞いが違っていることのいい例かもしれない。

前回までのE.シュレーディンガー著「生命とは何か―物理的にみた生細胞 (岩波新書 青版)」からの要約