アイザック・ニュートン(4)

 E.オマール著「不思議な数eの物語」より引用。

 さて、ニュートンはいろいろな曲線の方程式を変数xの無限級数として表すのに2項定理を用いた。からはこれらの級数を単に多項式とみなし、普通の代数の法則に従ってそれを扱った。級数の各項にフェルマーの公式x^{n+1}/(n+1)を適用(今日の言葉で言えば項別積分)することにより、多数の新しい曲線の面積を求めることができた。
 ニュートンが特に興味を持ったのは、双曲線の方程式(x+1)y=1であった(これは双曲線xy=1のグラフとまったく同じであるが1単位だけ左に平行移動したもの)。この方程式をy=1/(x+1)=(1+x)^-1と書きxの累乗で展開すると、すでに見たように、級数1-x+x^2-x^3+-\cdotsが得られる。双曲線y=1/xx軸、縦線x=1x=tで囲まれる面積がlogtであるというサン・ヴァンサンの発見をニュートンは知っていた。これは、双曲線y=1(x+1)x軸、縦線x=1x=tで囲まれる面積がlog(x+1)であることを意味している。したがって、式
(1+x)^-1=1-x+x^2-x^3+-\cdots
の各項にフェルマーの公式を適用し、結果を面積の間の等号と考えることにより、ニュートンは注目すべき公式
\log(1+t)=t-\frac{t^2}{2}+\frac{t^3}{3}-\frac{t^4}{4}+-\cdots
を発見した。(中略)例によって、ニュートンは自分の発見を公表しなかったが、今回はそれなりの理由があった。ホルスタイン(当時デンマーク領)で生まれたイギリスで生涯ほとんどを過ごしたニコラウス・メルカトールは、1668年に「対数術」という題の本を出し、その中にこの級数が初めて現れた(サン・ヴァンサンも独立に発見していた)。ニュートンはメルカトールのこの本のことを知って、この発見に対する栄誉を奪われたと感じ、ひどくがっかりした。人々は、この出来事によって、ニュートンがそれからは彼の発見をただちに公表する気になったはずだと思うであろう。しかし、実際はまるきり逆だった。その時以来、彼は限られた範囲の友人や仲間以外には自分の仕事の成果を打ち明けなくなった。

 前回までの、アイザック・ニュートンに関する本著からの引用は次の通り。

 この記述から受ける印象は、ニュートンという人は、非常に内向的な人物だったのだろうということである。他人をあまり信用するわけではなく、極限られた人にだけ扉を開いていたというものだ。しかし、数学に限って言えば、ライバルが多数いたことを考えると、そうなるのも当然だったのかもしれない。この頃は、出版物あったようだが、ほとんどが手紙などによるやり取りだったろうから、送った相手がその後手紙をどう扱うかでいい方向にも悪い方向にも動いたろうから、誰もが神経質になっていた可能性はある。