アイザック・ニュートン(3)

 E.オマール著「不思議な数eの物語」より引用。

 n=-1に対して、パスカルの三角形の係数は1,-1,1,-1,\cdotsである(アイザック・ニュートン(2)参照)。(式n=(1+x)^{-1}xの累乗に展開するときこれらの係数を使うと、
1-x+x^2-x^3+\cdots
が得られる。ところでこれは初項が1で公比が-xの無限等比級数に過ぎない。初等代数によれば、公比が-1と1の間にあれば級数は正確に1/(1+x)に収束する。そこでニュートンは自分の推測が少なくともこの場合には正しいに違いないと思った。同時に、ここでは収束の問題が重要だから、無限級数を有限和と同じように扱うことはできないという警鐘も与えられた。彼は収束という言葉は使わなかったが(極限とか収束とかの概念は当時まだ知られていなかった)結果が正しいためにはxが十分小さくなければならないということは、はっきりと知っていた。
 さてニュートンは2項展開を次のように定式化した:
(P+PQ)^{\frac{m}{n}}={P^{\frac{m}{n}}+{\frac{m}{n}}\cdot{AQ}+{\frac{m-n}{2n}}\cdot{BQ}+{\frac{m-2n}{3n}}\cdot{CQ}+\cdots
ここでAは展開の初項(すなわちP^{\frac{m}{n}})を表し、Bは第2項、等々。ニュートンは1665年より以前にこの公式を得ていたが、それを公表したのは1676年に英国学士院の事務局長ヘンリー・オルデンバーグ宛の手紙の中で、この問題に関するライプニッツからの情報依頼に答えるという形でであった。自分の発見を公表することを渋るのは、ニュートンの生涯を通しての特徴であった。そして、そのことが後にライプニッツとの苦い先取権論争をもたらすことになる。

 現在では、微積分の発案者は、ニュートンとライプニッツの二人とするのが定説になっているようだが、当時はどちらが発案者かで大きくもめたらしい。その模様は後に引用する予定である。ただ、本の中でも触れられているように、この時代には微積分が生まれるために必要な環境が整っており、何れは誰かが発案したであろうということだけはいえるのかもしれない。ニュートンがリンゴを落ちるのを見て重力を発見したという話しは有名だが、こうやって数学の歴史を見るとその下地も、時代背景の中に十分備わっていたのではないだろうか。そして、それを実現させるためには天才が必要だったという気がする。