懐古主義

 松永和紀さん著「メディア・バイアス あやしい健康情報とニセ科学 (光文社新書)」からの引用。

 どうも最近の日本社会は、様々な局面で、「昔はよかった」という懐古主義に陥っているようです。少年犯罪の凶悪化」とよく言われますが、実際にはそうとはいえないことは、作家の日垣隆氏や小笠原喜康・日本大学理学部教授ら、多くの識者が繰り返し指摘してきました。しかし、少年犯罪が起きるたびに、テレビのワイドショーなどでコメンテーターが「最近の子どもはおかしくなった。凶悪化した」と発言します。
 映画「ALWAYS三丁目の夕日」が2005年に公開されたのを機に、昭和30年代を黄金期とする説も出たそうです。しかし、当時は自殺や犯罪が多く、東京の下町では狭い部屋に大家族が暮らし、赤ちゃんが圧死する事件が立て続けに起きるなど、悲惨な極貧生活があったことを、布施克彦氏が「昭和33年」(ちくま新書)で明らかにしています。
 日本の伝統的な食事を過大に評価する流れも、この一連の「昔はよかった」に連なるものでしょう。海外での日本食ブームなども関わっており、単純に原因を探れるような話しではなさそうですが、現在の食に対する不安が背景にあるということは、だれも異論がないでしょう。
(中略)
 今、日本人の食生活は激変しています。フローフード運動がもてはやされる一方、お昼時にファストフードの象徴とも言えるマクドナルドに行くと、お年寄りが結構いることに驚きます。たえることに長い経験を持つ人たちが、マクドナルドを安くて手軽と認めているのです。おししいと思っているかどうかはわかりませんが、選んで食べているのは確かです。
 コンビニエンスストアでも、お年寄りが抵抗なく買い物をしています。こういう光景を見ている若い人たちに、たしかな根拠もなく「昔はよかった」と言ったところで、説得力があるはずもないのです。

 お年寄りが、ファストフードやコンビニエンスストアに行くきっかけは、やはり孫の存在だと思う。孫にせがまれ行っているうちに、その味に慣れ、受け入れるようになったのだと勝手に想像する。
 それと、昔と変わってきたなと思う出来事に女性の進出がある。トラックの運転手やタクシーの運転手、そして、列車の車掌などあらゆるところに女性が進出している。食べ物屋で言えば、昔女性が入ってくることはほとんどなかった牛丼屋や立ち食いそばに女性が一人で食べに入ってくる姿をちょくちょく見つけるようになった。働いている定員も女性の場合が多く、入りやすい環境になってきたのかもしれない。また、店もそれなりにきれいになっている。昔の立ち食いそば屋などは汚くて、入りたいと思えない店がたくさんあった。
 牛丼屋や立ち食いそばは、チェーン店化が進むにつれ、衛生面は改善され、店の作りもきれいになってきたような気がする。チェーン店を維持拡大させて行くには、特定の顧客からの脱却が必要だが、女性がターゲットに入った時点で、様変わりしたのかもしれない。
 環境面でいえば、割り箸だけが過大として残っているが、これらのチェーン店は、案外環境に配慮されたシステムになっているような気がする。コンビニエンスストアのように、生ゴミはほとんど出ないだろうし、容器も使い回しされている。お持ち帰りの容器だけが使い捨てだが、ほとんどの客は店で食べていく。最後は店で調理されるが、ほとんどを工場で生産して輸送している。今後の課題としては、割り箸、お持ち帰り容器、そして、工場から店までの輸送方法などだろう。それでもコンビニエンスストアよりは環境に優しい店だと思う。
 「昔はよかった」といって、全て昔に戻す必要はない。いまある優れたシステムを維持しながら、二酸化炭素排出量を1970年代にまで落とすべきだろう。それには物欲をある程度抑える必要があるが・・・。