現代の味噌はアメリカ文化の産物

 松永和紀さん著「メディア・バイアス あやしい健康情報とニセ科学 (光文社新書)」からの引用。

 日本貿易振興機構(JETRO)アジア経済研究所研究員の佐藤寛さん(現・同研究所開発研究センター専任調査役)が、月刊誌「クロスロード」2004年8月号で、"味噌革命"という言葉を使いながら詳しく触れています。
 昭和二十年代(1945年〜54年)、多くの農村で味噌は「味噌玉」の形で保存されていました。原料の大豆を煮てつぶしたものに麹屋から入手した米麹か麦麹を混ぜて固め、冷暗所の天井から吊すなどして少しずつ発酵させます。麹を増やせば早く熟成しますが、麹は高価。そのため、麹の量を減らし、空気中の雑菌も利用して発酵を進めます。仕込んで三年ぐらいからが食べ頃だったといいます。
 何年ももたせるてめに、おそらく食塩も多く入れて保存性を高めたことでしょう。
 この状況が変わったのは、戦後の1948年。農林省主導の農村生活改善普及事業が始まってからです。指導的立場にあった生活改良普及員たちは、味噌造りの「近代化」を目指しました。農村の女性たちが温度計を用いて自分たちで麹作りを行うように指導。されに、大豆や米麹、塩の量も目分量ではなく秤ではかるようにしました。
 できた味噌は、味噌玉よりも手軽でおいしかったそうです。佐藤さんはこう書きます。

これは、革命的なインパクトを持っていた。姑が伝える旧来の方法の「手前味噌」よりは簡単でおいしい味噌ができるという事実は、ある意味では「伝統」の権威を失墜させる出来事であったといえるかもしれない。(中略)ちなみに現在、全国各地の「道の駅」で販売されている味噌のほとんどは、当時このようにして「科学的味噌造り」を習った当時の若嫁、すなわち現在のおばあさんたちが製造している場合が多い。

 今多くの日本人が思い描く「味噌など大豆製品を多く食べ、健康に生きる日本人」は、戦後の科学的な栄養指導と生活改善事業のたまものだったのではないか。佐藤さんは、この事業がアメリカの手法であったことに注目します。アメリカでは19世紀後半、この改善制度が始まりました。農村にそれが浸透するきっかけは余剰トマトの瓶詰めでした。佐藤さんは、味噌革命を、瓶詰めトマトの「読み替え」だったというのです。
 現代の日本で味噌は無条件に伝統食とされ、「反大量生産」「反アメリカ」の象徴ともみなされていますが、実はアメリカの生活改善制度の成果だったのです。

 ただ塩っ辛いだけで、味も素っ気もないみそ汁。それが、手前味噌だったのだろうか。農村生活改善普及事業とは関係ないかもしれないが、衛生に関する生活指導も戦後アメリカ指導で行われたはずだ。戦争中や戦後まもなくの貧困状態を知っている世代にとって、昔の生活には戻りたくないということがトラウマになっていたかもしれない。特に、女性の場合、家族の生活を食や衛生の面で支えていたのだから、料理の作り方や衛生面での改善は、非常にインパクトがあっただろうし、実感を伴っていたとも思う。
 普通、人が「昔」と例えるときは、自分が生きてきた範囲にその昔を置くのが一般的だろう。従って、「昔はよかった」と生活改善前を知っている多くの女性が言う場合、この生活改善された後の昔を指しているのだろう。ところが、今ブームのスローフードなどを好んでいる人たちは、ほとんどが戦後生まれで、悲惨だった頃を知らない世代だと思う。そして、彼らが知っている昔は当然の頃ながら生活改善された後の日本を指している。
 昔を思い描くことと、自然志向が合わさり、今のスローフードブームがあるように思えてならない。物欲主義からの脱却は、循環型社会への移行にとって必須条件である。できれば、もう少し発展して1970年代ぐらいの生活スタイルを愛好する世の中にならないものか。今のスローフードブームは現実とのギャップが大きすぎし、ある意味だまされている感が否めない。