環境変化と企業活動(1)

 郷原信郎著『「法令遵守」が日本を滅ぼす (新潮新書)』(新潮文庫)からの引用。

 情報技術の進歩は、個人や組織が多くの情報をインターネットによって瞬時に入手できる「情報環境」を出現させました。そして、情報の流通速度の飛躍的な向上とソフトウェアの高度化が、その環境を大きく変化させました。ウィニーによる情報の大量流出問題などは、情報環境の激変に対応できなかった組織が起こした問題です。
 このような問題に関する法令が、個人情報保護法不正アクセス紡糸法などです。小難しく言えば、従来の法体系というのは、個人の意志と行為に基づく、物理的な管理が可能な有体物をめぐる権利を規律することが中心でした。しかし、情報には形がありませんし、無限に拡散しますから、人の意志による物理的な管理など不可能です。情報を中心とする社会に法体系自体が対応できなくなっているということが根本的な問題なのではないかと思います。

 無形のものとして他に上げれば知識がある。知識も取扱いがやっかいだ。企業の特許や個人の著作権など一定の知識は保護されているが、圧倒的に存在する企業のノウハウを保護する法律は無いように思う。無形物をどう扱っていくかが今後の課題の一つだろう。

 「安全環境」も、このところ激変しています。伝統的な民事法の考え方では、企業活動によって誰かが死傷した場合、その死傷によって発生した損害すべてに賠償責任を負うというわけではなく、故意又は過失が認められる範囲に限られていました。それが、企業活動の高度化、大規模化に伴って、一定の危険がもともと含まれているような事業分野については無過失賠償責任が認められるようになってきました。また、製品の欠陥によって他人の生命、身体または財産が侵害されたときに、製造業者に対して、その損害についての故意・過失の有無を問わず賠償責任を負わせる製造物責任法もできました。
 このように安全に関する企業の法的責任が強化される中、最近では、法的責任の範囲を大きく超えて社会的責任を追及されることも珍しくありません。法的な責任を回避するためのベスト・プラクティスを続けてきたのに、大きな社会的非難を浴びることになったパロマのジレはその典型です。

 法令遵守だけでは、企業活動が成り立たない理由はここにある。社会的要求を的確に判断できる能力が経営者に求められている。ただ、社会的要求がつねに正しいかというと、時としていきすぎた反応だったりすることもある。たとえばダイオキシンなどで現れた社会的要求は、今からすれば行き過ぎの部類に入るだろう。この辺を見極めることは非常に難しいような気がする。