自然界の変化は確率の法則に従う

 ケネス・W・フォード著「【送料無料】不思議な量子 [ ケネス・W.フォード ]」からの引用。

 自然界の変化が必然性(確実性)の法則ではなく確率の法則に従うというボルンの発想は、爆弾のように科学界を襲ったはず。その発想は、何百年にもわたって入念に仕上げられた古典物理の殿堂をゆるがせた。爆弾で殿堂を吹き飛ばしたというよりは、浸食作用で柱を腐らせたようなものだといえよう。1920年代の中期には量子力学の数学理論も完成し、ようやくボルンも、確率にもとづく解釈をきっぱり述べることができた。
 すでに1899年、放射能という新現象を調べたラザフォードたちは、原子核の崩壊が確率に従う気配を見ていた。どうやら、原子集団の平均値は一定なのに、寿命の長い原子核も短い原子核もあるらしい。また、ここの原子核には、たとえばアルファ粒子を出すかベータ粒子を出すかの選択肢もあるらしかった。しかしそれも、原子核1個がどちらを出すかは予測できず、無数の崩壊イベントを観測してようやく相対確率(分岐比)がわかる。
 それでもラザフォード一派は、物理の基本法則に確立がひそむと明言したわけではない。理由は単純、自分たちが自然界の基礎原理を明るみに出したとは思っていなかった。科学では昔からおなじみの確率が、初めて自然現象にその姿を現したのだが、そのことをまだ誰も認識していなかったのだ。
 たぶんラザフォードは、確率で決まるように見える現象も、知識不足のせいでそう見えるだけだと思っていた。原子の中には未知の部分がいくつもあり、それに絡む細かい差異のせいで、崩壊が見かけ上ランダムに起こる、というわけだ(なにしろ当時、放射能を出すのが原子核だということさえ、誰ひとり知らなかった)。
 1926年以前にも自然現象を司るのは確率だと匂わす事実はほかにもあった。たとえば1902年にラザフォードは、フレデリック・ソディとの共同研究で、放射能が原子からじわじわ出るのではなく、いきなり出るのを見つけている。元素変換の本質にからむ事実である。
 光が粒(光子)だというアインシュタインの理論(1905年)も、水素原子内の量子ジャンプを説明したボーアの理論(1913年)も、自然界の根源で確率が働いているとほのめかすものだった。けれども物理の世界はまだ、そういう過激な発想に耳を傾ける準備ができていなかった。