量子を知るための予備知識

 ケネス・W・フォード著「不思議な量子―奇妙なルールと粒子たち」からの引用。

 予備知識をひとつ。量子の世界では、もの(粒子)と出来事(法則)がからみあう。いっぽう、ニュートンが仕上げた古典物理はそうじゃなかった。地球(もの)は力学の法則に従って太陽のまわりを回る(出来事)。地球がどんな成分でき、生物がいるかどうか、火山が噴火しているかどうかで、公転のありさまは変わらない。また、震動する電荷(もの)が生む電磁波(出来事)は、電荷をもつものが電子でも陽子でも、イオンでもテニスボールでも同じ。何か電荷が振動していればよくて、電荷のもつものが何であるかにはいっさい関係ない。
 だが量子の世界になったら、事情がガラリと変わる。粒子(もの)の種類で、起こる現象(出来事)が変わってくるのだ。原子より小さい世界では、そういう不思議なことが起こる。だから次章以下で読者は(私も)、粒子の種類に応じてふるまいが変わるような話しのときは、そのことを忘れないでおこう。
 もうひとつ考えておきたい。原子よりも小さい世界はなぜ奇妙なのか、なぜ私たちの心をとらえるのか?猛スピードの極微粒子を支配する法則は、なぜ日常感覚から外れ、なぜ途方もない想像力を要求するのだろう?そんあことは、かつて誰も予想していなかった。
 1900年ごろまでの科学者は、当然のようにこう考えていた。日常世界から得られた知識は、うんと小さな世界や、うんと速い世界にも当てはまるはずだ、と。ただし、そうはいっても、当てはまると確信できたわけではない。身近な観察から生まれた「常識」が、見ることも触れることもできないミクロ世界の現象に当てはまるかどうか、確かめる手段は当時なかったからだ。
 過去100年の物理学は、ミクロ世界に常識は通用しないと教えてくれた。それ以前は誰もそんなことを予想できなかった−という事実に驚いてはいけない。物質や運動・空間・時間の感覚は、日ごろの経験が形づくる。固体は固体だし、正確な時計ならどれも同じ時刻を指すはずだし、物体が衝突したときに質量が変わるはずはなく、ものごとは予測できる(情報が十分に正確なら、以後の成り行きもきちんとわかる)はず。だが、原子以下の世界ではそうはならない。固体はほどんどスカスカだし、時刻は決まっていないし、衝突のときに質量は減ったり増えたりするし、どれほど完全な情報を入力しても結果にはあやふやさが伴う。
 なぜそうなのか?ミクロの世界になぜ常識が成り立たないかは、誰も知らない。魅了され、不思議に思い、戸惑うのはいいけれど、「なぜ?」と質問しても答えない。

 以前、京都大学の教授らが一般市民向けに講演した内容を掲載した本「量子の世界」を読んだ。その時感じたのは、某M教授と同じ「言ったつもりで、言わなかった」を聞いたときの感覚と同じものだった。コミュニケーションがへたくそで何を伝えたいのかがわからないというもの。はっきりいって、量子の世界に興味すらもてない内容だった。
 自分の伝えたい内容をまったく予備知識のない人に伝えるという作業は非常に難しいと思う。しかし、その努力を学者はしていかなければならないと思う。
 本書では、そういう予備知識に十分なスペースをとってある。外国の科学書が非常に読みやすいのは、そうして努力が節々に感じられるからだろう。日本の科学者もそうした部分を見習って欲しい。