(2007年2月、衆議院調査局報告見解)

 東京大学名誉教授、もったいない学会会長 石井吉徳さんの文章。久々に感動ものの文章だった。詳細は、リンクを読んでもらいたい。まず、最初から、次のような調子で「世の中間違っているよ」と述べている。

「石油ピーク」は「農業ピーク」である、先ずこれを理解することである。いま有限地球で人類の生存基盤がとみに劣化しており、特にエネルギー、水、食料などが懸念される。人類問題、課題は地球温暖化だけではないのである。
日本は温暖な気候に恵まれ水は大丈夫だが、エネルギー、石油のほぼ全量を輸入する。その石油の生産が世界的に需要に追いつかなくなりつつあり、頼りの新規油田の年間発見量は生産の5分の一程度でしかない。そして石油生産量はいまピークを迎えているが、これは「文明ピーク」と言ってもよい。

農業も石油が支える。これを念頭にバイオマス利用を考えないと、国家の計を誤ることになろう。
現代農業を支える肥料、農薬などは石油、天然ガスから合成され、農耕機械も石油で動くからで、日本は食料自給率はカロリーベースで40%しかない先進国の中でも脆弱な国である。

更に農業従事者の半数は65歳以上と高齢で、欧米が45歳以下であるのと対照的で、これも今までの経済至上主義、効率優先思考の所産と思われる。

いま日本では「地球が危ない」が流行だが、危ないのは人間、特に日本が危ない。水田が油田に、などと報道されるがこれも危険なことである(朝日新聞06年11月10日)。バイオはカーボンニュートラルであるなどと、単純に考えてよいのだろうか。

日本では石油連盟、エネルギー専門家などはオイルサンド、オイルシェールが膨大にある、石油は大丈夫と「石油ピーク」論を無視し、NHKはメタンハイドレートが日本近海に膨大であるなどと、楽観論を繰り返す。

そして人間より、車の燃料の方が大事であるがごとき風潮となる。米からエタノール、菜種から車燃料、水素社会などは多くの場合、税を支出させるキャンペーンである。事実見込みのない計画に今まで多額の投入がなされた。これからは科学的合理性に立ち、エネルギーは食料問題と考え地方分散型の食の安全、安心を考える必要がある。

 危機感を感じる方向が違っているよと述べている。「地球があぶない」のではなく、人間が危ない、特に日本が危ないのだと言っている。おっしゃるとおりだ。最初の認識が違っているととんでもないことになってしまう。特に政治家の方々には、最初の認識を共有していただきたい。

ここで、資源とは濃縮されているものと理解することが先ず大事である。とくにエネルギー資源においては質が全て、といってもよいが、日本のエリートはそれを知らない、これも理科教育の欠陥というべきである。物理的には熱力学の第二法則、エントロピーの法則を理解することで、資源についてそれを要約するなら、1)濃縮されている、2)大量にある、3)経済的な位置にあるもの、それが資源なのである。自然の恵みには、そのような意味がある。

エネルギーについて定量的に表現するには、EPR(Energy Profit Ratio)、エネルギー利益比、つまりエネルギーを得るに必要な入力エネルギーと、それから得られる出力エネルギーの比が合理的である。当然1.0以上でなければ意味はないが、これはバイオも含めたあらゆるエネルギーについて言える。

 これも至極ごもっとも。この辺のはなしは、文系出資が多い経営陣にも言えるのではないだろうか。そして、経済学者にも。ここは、何も難しい話しではない。ちょっと科学をかじっていれば当たり前のはなしだ。これを国会議員に話さなければならないというのは非常に情けない。

これからの21世紀の国家の根本理念は「地球は有限、人は無駄、浪費をしない」となるからである。つまり「脱浪費」であり、そのモットーは「もったいない」で、人は食料が無ければ死ぬが車がなくても死なない、これは当たり前だが、今の日本に必要なのはこの「当たり前」のようである。

 最初からずっと「当たり前」のはなしをおっしゃっている。

日本の人口・エネルギー史からエネルギーを考えよう。翻って、日本の人口が1億人となったのは1970年ころである。当時エネルギー消費量は今の半分程度だったが、日本人はべつに飢えてはおらず、むしろ食料自給率は60%ほどと高かった。そして人の心はそれなりに豊かで、都市集中も今ほどではなかった。

これから重要な結論が導かれる。浪費しなければ今の半分のエネルギーで生存できるという期待である。

 1970年代の生活水準に社会を戻そう。そうしなければ、経済の発展はあり得ないと思う。国会議員の方々はぜひ真剣に検討していただきたい。