左右の対称が崩れるしくみは(2)

 デイヴィッド・ウォルマン著「「左利き」は天才?―利き手をめぐる脳と進化の謎」からの引用。

 廣川たちは、この繊毛のついた細胞をマウスから採取して液体に入れ、細胞のそばに蛍光ビーズを落としてみた。川の流れが渦巻いているところに、発泡スチロールのかけらを落としたと思えばいい。小さなビーズは、時計回りの液体の流れに乗ってすべて左側に運ばれた。誕生まもない左右対称の胚の内部で、こうした流れが起きて物質が運ばれれば、それまで何もなかったところに物質の偏りが生まれる。ある発生生物学者はこう説明している。「液体とタンパク質が左側に蓄積して偏りが生じることが、最初の対称性を破るのに必要なのかもしれない。別の言い方をすれば、細胞の構造に見られる一つの特徴(ノードの繊毛が回転する方向)が、胚の発達における左右差へと変換され、われわれの内臓が作られていく過程をうまくコントロールしている」
 廣川は、この小さいプロペラが体の左側と右側を決める役割を果たしていて、それがひいては体全体の組み立てを導いていくと考えた。彼の仮説では、繊毛による右から左への流れが、体を非対称に発達させるメカニズムの導火線にあたる。胚のいる世界には左と右があるので、それに従って体を発達させよと、物質が左側に蓄積することによって胚に「教えて」いる。胚は、プロペラが作り出す流れの方向によって左と右を学ぶのだ。問題は、どうすればそれを証明できるかだ。
 仮説を検証するため、廣川はおもしろいマウス胚を作った。マウスの遺伝子を操作して、繊毛の回転にかかわるタンパク質を製造させないようにしたのである。そのマウスは、正常なものとは明らかに違う体を発達させた。廣川がノートパソコンをクリックすると、ピンク色がかったかたまりが画面に映し出された。遺伝子操作したマウスの胚である。重要な遺伝子をノックアウトされたマウスたちは、半数が正常な発達、半数は体の構造が左右逆転した発達を遂げた。
 廣川のチームは再び顕微鏡を覗き、遺伝子をノックアウトされた胚の繊毛が動かなくなっているのを確認する。プロペラのように回転して右から左への流れを作る代わりに、繊毛はまっすぐたったままで、蛍光ビーズはあてもなく漂っていた。ということは、物質が右に集まるか左に集まるかは五分五分の確立で決まることになる。その物質は、体を非対称に発達させるための重要な情報を携えているかもしれないのに、もはや左側だけに届けられることはなく、右へ左へとでたらめに運ばれる。要するに廣川は、一方向への偏りを作る仕組みを破壊したのだ。繊毛の回転に関与するタンパク質をもたないと、五分五分の確立で心臓が左側にくるかもしれないし、右側にくるかもしれない。それが意味するところは明らかだ。回転する繊毛が何らかの仕組みによって、心臓を左寄りに配置するための引き金を引いているのである。回転に関与する遺伝子が、たとえばまったくの健康体と重い遺伝子疾患の明暗を分けるというのはけっして珍しくない。しかし、非対称に取りつかれているぼくにとっては、特殊な回転運動がつかさどるこの一個の遺伝子が、とりわけ重大な役割を担っているように思える。それがなけらば、人類の半分は体の構造が左右反対になっていたかもしれないのだ。

 2回のつもりだったが、明日も続きを引用することになった。やはり、日本人の話となると長く引用したくなる。繊毛を動かしている遺伝子をノックアウトすると、五分五分の確立で配置位置が決まるというのはおもしろい。人間が神の力で作られているのではなく、化学反応によって作られている証拠とも思える。
 脳の話と同じで、分子生物学もまだまだ研究する道取りが長いことを実感した。