強い片手利きと両手使い

 デイヴィッド・ウォルマン著「「「左利き」は天才?―利き手をめぐる脳と進化の謎」からの引用。

 全人口の10〜12パーセントが左利きという前提でここまで話をしておきながら今になってこんなことを言い出すのはずるいかもしれない。だが、この数字は間違っている。しかもほどく。なんだだまされていたのかと思うのも無理はない。「私たちは150年間も利き手を誤解していたんだ」とオハイオ州トリード大学の心理学教授、スティーヴン・クリストマンは語る。
 違いについて調べるのなら、右利きと左利きではなく、強い片手利きと両手使いの違いに注目すべきだとクリストマンは主張する。こういう分け方でいくと、強い右利きと強い左利きが一つのグループとなって、全人口の半分がここに当てはまる。残りの半分は両手使いの人々だ。別の言い方をすれば、利き手を区別する決め手は「側ではなく程度」ということになうる。
「脳の左右差の問題をこういう切り口で考えた研究者はほとんどいない。私も謙虚な科学者のつもりだから、自分の考えが間違いかもしれないとは自覚しているよ。だが、この仮説を裏づける証拠がどんどん集まって、2010年まで順調に進めるとしたら、さすがの私もうぬぼれてくるだろうな」この斬新なアイディアが正しいとしたら、クリストマンはホプキンズやチンパンジーたちと同じく利き手の理論に革命をもたらす可能性がある。利き手について「何が」理解されているかだけでなく、利き手を「どう」理解するかも一変するかもしれない。

 この考え方は、先に述べたセインバーグの仮説にも通じる。左右の手はお互いに補い合いながら協力しているのであって、利き手対非利き手という構図ではないとクリストマンはいっている。また、クリストマンは、「右利きと左利きのあいだに見られる脳の差異よりも、強い片手利きと両手使いのあいだに見られる脳の差異のほうが大きい」と主張する。その脳の差異とは、脳梁の大きさである。脳梁が大きいと左脳と右脳との情報交換能力に優れている。また、脳梁が小さいと脳半球からの雑音を防げるので左右別々の動きができる。つまり、強い片手利きの脳梁は小さく、両手使いの人の脳梁は大きい。実験の結果、この関係を裏づける結果が多数上がっているという。
 クリストマンの説に従えば、自分の場合、左右同時に違うことを行う(例えば、右手で4拍子のリズムをとりながら、左手で3拍子のリズムをとるなど)ことは、到底できないから、両手使いということになる。