新発明の不足

 ジェフリー・サックス著「貧困の終焉―2025年までに世界を変える」から引用。

 貧しい国の発明家の悩みを想像してみよう。ある発明家が、自国の経済発展に貢献できるような新しい科学的アプローチを思いついたとしても、のちに地元の市場で売り出したときの儲けが少なければ、リサーチと開発に投資した資本をとりかえすことができない。新しい製品に対する地元の購買力が小さければ、発明品をうまく市場に出せたとしても(また、この貧しい国が最新技術を保護する特許法を整備していたとしても)十分な利潤は得られないだろう。問題は発明品に対する所有権ではなくて、市場の大きさなのだ。

 これは、縮小方向に向かっている市場にも当てはまると思う。急成長している分野では、多くの投資が行われ、新商品が数多く発表され、市場にも受け入れられていく。ところが、伸びていない市場あるいは明らかに縮小している分野では、新製品を投入してもその新規性について市場が払える金額が足りない場合が多々ある。市場が拡大傾向にないと新技術への対価は払われず、所有権を持っていたとしても役に立たない気がする。

 豊かな国には大きな市場があり、新製品を送り出そうという意欲も高まる。そして新しいテクノロジーが市場に出ると、それによって生産性が高まり、市場の規模がされに拡大する。そしてされに新製品を開発しようという意欲が高まる。はずみがついて、連鎖反応が起こる。
(中略)
 貧しい国の多く(とくに小国)では、発明のプロセスはまずスタートさえ切れない。発明家が動き出さないのは、新製品を開発するときの多額のコストをあとでとりもどせないとわかっているからだ。貧しい政府には国の研究所や大学での基本的な科学研究をバックアップする財源がない。そんな国には科学者もとどまろうとしない。結果として、新製品開発にも不平等が生じ、ひいてはグローバルな収入格差がますます広がることになる。今日の低所得国は全人類の37%、世界のGDPの11%を占める(購買力平価で換算)。だが、これらの国々には2000年度に取得された特許の件数で、アメリカの1%にもおよばない。特許取得のトップ20位はすべて先進国で、その数は特許件数の98%を占めている。
 二十世紀全般を通して、この新発明の分野におけるギャップは豊かな国と貧しい国を分ける基本的な理由の一つになっている。

 この本で後述されているが、中国やインドでは、自国で満足できず、アメリカなどの豊かな国へ出ていった多くの留学生がいた。この留学生たちは、豊かな国で職場を得て、技術や人間関係を築き、その後、自国に戻って、自国の市場を開拓していった。
 日本もまったく同じ道を歩んできた。しかし、豊かな国のマネだけでは、貧困からの脱却はできるだろうが、さらなる発展は望めない。貧困を脱却し、ある時点を過ぎた場合、拡大する市場を維持していくために、上記連鎖反応が必要となる。