自然地理学

 ジェフリー・サックス著「貧困の終焉―2025年までに世界を変える」から引用。

 貧困の罠という解釈が適切な診察だとしても、貧しい国のなかで貧困の罠に陥る国とそうでない国ができるのはなぜかという疑問が残る。その答えは、ふだん見逃されがちな自然地理学の分野にヒントがある。たとえば、アメリカ人は自分の力だけで裕福になったと思っている。彼らが失念しているのは、彼らが受け継いだアメリカという土地の条件である。天然資源に恵まれた広大な土地。肥沃な土壌と豊かな降雨、航行可能な河川、何千キロにもおよぶ海岸線には天然の良港がいくつもあり、海上貿易にはうってつけの基地となっている。
 世界はこんな好条件に恵まれた国ばかりではない。貧しい国の多くは、運搬コストの高さという深刻な障害を抱えている。内陸にあったり、高い山に阻まれていたり、航行可能な河川や長い海岸線や天然の良港がなかったりという国は多いのだ。ボリビアやエチオピアやキルギスやチベットの長びく貧困の理由は文化だけでは説明できない。むしろ地理的条件を見るべきだ。険しい岩がちの地域では輸送コストという大問題に直面せざるをえない。経済的に孤立した場所ではほとんどあらゆる形の近代的な経済活動が不可能である。アダム・スミスが鋭く見抜いたように、経済発展の遅れた地域では輸送コストの高さが大きなネックになっている。彼がとくに強調したのは、低コストの海上貿易という利点があるかどうかが発展の決定的な要因となっていることである。そして、経済が隔離されているほど経済発展も遅れるだろうといっている。
 地理的に厄介な条件はほかにもある。農産物が生育しにくい乾燥した気候や、不安定な気候、長引く旱などに悩まされる国は多い。熱帯の国々では致死性の病気(マラリア、住血吸虫病、デング熱など)を招きやすい環境が悩みのたねだ。とくに以南のアフリカは、降雨と気温と病気を媒介する蚊のせいで、マラリア発生の国際基地のようになっている。アフリカの経済発展を遅らせる最大の要因といっていいだろう。ジャレド・ダイアモンドの名著「銃、病原菌、鉄」は、人間の初期の文明を形成するのに地理的条件が果たした大きな役割について注目している。この本で彼は、アメリカ、アフリカ、ヨーロッパ、アジアを比較して、固有の作物種や家畜の違い、輸送の手段、テクノロジー伝播の可能性、環境による病気の有無など、経済発展に関連する地理的条件について論じた。もちろん、これらの要素のなかには、近代的な輸送手段やコミュニケーションが発達して、農作物や動物が世界中に運べるようになればほとんど、あるいはまったく意味をなさなくなるものもある。
 幸いにも、これらの条件のうち、経済発展にとって不可欠なものはない。いまや地理的な決定論という亡霊は退散すべき時期である。地理上の不利ばかりいいたてるのは、地理的な条件だけが国家の経済的な帰結を決定するという主張と同じくらい見当違いである。ここで肝心なのは、逆境にある国々は不利を克服するために運のよい国々より多くの投資が必要だということである。内陸の国からよその国の港まで道路を建設することができる。熱帯に特有の病気は対策が講じられる。乾燥地帯では灌漑水路を築けばよい。地理的な不利からくる問題のほとんどは物理的な投資と適切な保護管理によって解決可能なのだ。しかし、不利な地理条件のもとでは、農業や輸送や保健にまつわる問題を解決するためのコストが高くつき、そのような環境にある国は貧困の罠に陥りやすくなるのである。

 日本の国土は、アメリカと同様に豊かな地理的条件を満たしている。イギリスが産業革命前後から急激に発展していったのは、日本と同じように、海岸線に囲まれ、河川があり、天然の良港に恵まれていたという地理的な優位性があったからだといわれる。日本の国土もこのイギリスとほぼ同じ条件を満たしている。戦後日本が立ち直れたきっかけに、この地理的要因も大きく影響していたと考えられる。