人体 失敗の進化史

 現在、遠藤秀紀著「人体 失敗の進化史 (光文社新書)」(光文社新書)を読んでいる。この本、人体が如何に元からあるパーツを設計変更して進化してきたかが書かれている。内容も面白いのだが、図面や写真を同時掲載しないと内容を理解しにくい構成になっているため、引用がしづらい。ということで、ここ二日ばかりブログを更新していなかった。
 鳥が飛ぶために、骨をスカスカにしていたり、空を飛んでいた恐竜が薬指の骨一本で羽根を支えていたことなどが書かれている。肺は魚が持っている浮き袋が設計変更されて作られたことなどもまったく知らなかった。
 進化の過程を解剖学の見地からわかりやすく教えてくれるので、進化に興味をもっている人にはお勧めの本である。
 それにしても、この本を読んでいると、進化が如何に行き当たりばったりで起きてきたかを思い知らされる。進化自体は、化学反応がランダムにおきて、自然淘汰を受けることで現在生息する生物が生き残ってきた歴史ということが言えるのだろう。人間にしても、この進化の過程を経て現在に至っている。人間だけが持つとされる意識(心)も実はこの進化の賜で、脳のもともとの目的からするとかなり使い方が異なっているのかもしれない。そして、人間が作り出すものもこの進化の過程で起こる偶然の賜に過ぎないのかもしれない。
 そして、人間が作り出したものも、自然淘汰を受けて、生き残るものと忘れされられるものに分かれ、ほとんどのものが忘れ去れる運命にあるのかもしれない。
 どうも、人間が独自の発想で物事を作り出すということも、実は自然の営みのひとつ、進化の過程で起こっている事象のひとつでしかないのではないかと考えてしまう。